このサイトでは古くから伝わる風習や、行事、童謡や昔話など、どこか不思議で不自然で不気味にさえ感じるような事柄を、色々な角度から紐解き、八割の資料と、二割の独自見解で、深読みしていこうとするものです。
あくまで、都市伝説、またはエンターテイメントの読み物としてお楽しみいただけたら幸いです。
しかし案外、現代の混沌とした時代を生き残るキーワードは、そんな不思議を探ることで見つかるのかもしれませんよ!
童謡・通りゃんせ 深読み
この記事はこんな人のために書いています
童謡『通りゃんせ』の歌詞がどことなく不思議。どんな意味が隠されているのだろうか?と思った人のために書いています。
この記事を読むとこんなことがわかります
童謡『通りゃんせ』にまつわる、歌詞の意味についての諸説がわかります。
特にこのページでは『帰りはこわい』に焦点をわせています
諸説 ※どれが正解かは誰にもわかりません。
童歌、通りゃんせを深読みしてみる
童謡『通りゃんせ』の歌詞は以下のようになっています。wikiによると作詞者は不明で作曲者は本居長世編・作曲、あるいは、野口雨情と書かれています。wikipedia
通りゃんせ、通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神さまの細道じゃ
ちぃっと通してくだしゃんせ
御用のないもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに、お札を納めに参ります
息は良い良い帰りはこわい
こわいながらも、遠りゃんせ、通りゃんせ
発祥の地
埼玉県川越市にある三芳野神社が発祥の地であると言われていて、歌碑も建立されていますが、実は全国に何箇所もこの歌の発祥地であると名乗っている場所があります。
神奈川県小田原市の国府津にある菅原神社では、”天神さん”を祀っていて箱根の関所を越えるときの歌ではないか?という説があり、こちらが有力だとする説もあるのです。
天神さまの細道
子供を連れた『母親』らしき?(父かもしれないが)七つの子どもを連れている『旅人』(通行人)にこの道はどこの細道ですか?と尋ねると、天神さまの細道ですと答えています。

天神さま
天神さまとは平安時代に活躍した『菅原道真 公』を指しています。
漢学者で詩人、和歌などでも多くの名歌を残し、政治家でもあり、類まれな才能の持ち主でした。
天神さまは『菅原道真 公』
5歳で和歌を読み、11歳の頃には漢詩を作る天才でした。
出世街道を突然閉ざされる
道真は右大臣まで上り詰め出世街道を歩んでいましたが、帝から信任厚い道真に対して脅威を感じた藤原時平は「道真が謀反を企んだ」と讒言(ざんげん)しあらぬ罪を着せられ、『左遷』され、その地で命を落とす事になります。(昌泰の変)子供達までもが流刑に処されます。
道真が命を落としたのち、不思議なことが次々と起こります。
不思議なことが起こり始める
まず、時平の片腕、中納言の定国が40歳という若さで亡くなります。ついで、道真の排斥することに尽力した藤原菅根が落雷によって感電死します。
そして、翌年には時平自身も39歳で早世します。さらに、時平が生前に希望を託した保明親王も21歳っで逝去します。
流石にこうも続くと、一般庶民の間で噂が広まります。
『無実の罪のまま死んだ道真の怨念ではないか?そうに違いない』と。
さらに、不幸は続きます。2歳で太子となった慶頼王は4歳で亡くなってしまいます。大干ばつ、冷夏、洪水、台風、大地震、疫病、によって大勢の人々が命を落としていきました。
また、藤原清貫に雷が直撃、人々が見ている前で胸が張り裂け即死してしまいます。
まだ続きます。平将門と藤原純友による承平・天慶の乱によって国は荒廃し、時平の長男が『原因不明の狂死』三男の敦忠も38歳で早世。
神格化される
そんなことがあり、942年に京都市上京区馬喰町に道真を祀り5年の歳月をかけて北野天満宮を建立します。
すると不幸の連鎖が徐々に少なくなってきます。時平の次男顕忠(あきただ )だけは毎夜社殿を拝することで死を免れたと言われています。
その後、道真は天神として祀られ、太政大臣という最高位を与えられました。
ちぃっと通してくだしゃんせ
天神さまの道なのですね。そこをなんとかちょっと通らせていただけませんかね?と尋ねています。
用もないのに通すことはできませんよ!という歌詞が一般的に広まっていますが、手形のないもの通しゃせぬと歌っていたそうです。
そこで出てくるのが、箱根の関所説です。
関所説
江戸時代、関所を通るためには厳重なチェックがありました。特に箱根の関所は通行手形が必要で、通行手形なしに通行しようとすると極刑に処されることもあるほど厳しいものでした。
とはいえ、親の急病などで、どうしても急に出かけなくてはならなくなった場合には、その事情を関所のお役人に話して通してもらうこともありました。
関所やぶりは厳重な処罰を課せられる犯罪とされていました。
関所のお役人
そのような状況であれば仕方がない。通りなさい。
私は許してあげたけれど、帰りの関所ではそうもいかないと思っておいた方がいいですよ。
そのことを考慮すると、行きは良い良い、帰りはこわいという歌詞がしっくりくるような気もします。
入鉄砲
当時、江戸を守るために関所は厳しい取調べの場所となっていました。江戸に反乱を起こそうとする者が鉄砲を持ってくるかもしれません。
関所の役人が、情にほだされて、入鉄砲を見逃したとなれば、役人自身も厳重な処罰を受ける事になってしまいます。
出女
大名の奥方達は優雅そうに見えて実は不自由な暮らしを強いられていることも目面しくはありませんでした。
政略的に結婚させられたり、友好関係のために人質のような暮らしから逃げてくることもありました。そんな女性を出女と呼んで関所では警戒を強めていたのです。
関所を通過するためには、お金と(関銭)通行手形が必要でした。
そのような理由から、歌の中の旅人が、どこかの奥方で子供を連れて逃げてきたという説もあるのです。
このこの7つのお祝いに
さらに、このこの七つのお祝いにお札を納めに参りますの部分は、おそらく七五三のお祝いを指していて、後半を天神さんに願掛けてとする地方もあり、箱根の山街道の細道を指しているのではないか?と言われています。
当時子供が7歳まで育つことは大変おめでたい嬉しいことでした。純粋に感謝を述べるために天神さんへお参りしたことでしょう。
神様にお返しする説
しかし、当時は健康に育つ子供が少ない上に6歳までは神様の子という考え方があって、育てられない場合は神様にお返しする(おいてくる)ということが行われていました。
理由は口減らし、何かの代償、さまざま考えられますが親が子供を連れてきてお返しして帰り道は一人で帰るということもあったのです。
そして、子供は『神隠しにあった』とまことしやかに囁かれる事になります。
『こわい』誰が?何が?
帰りはこわいの部分に注目してみましょう。
怖い、恐い、強い。
歌の中のこわいが『強い』だと考えると
こわいが強い(こわい)だとすると、扱いにくく手強い相手に対して、あるいは一筋縄で行かない何事かに対して言っている事になります。
その相手は誰でしょう。考えられるのは、 大まかに分けるとA『関所の役人』かB『天神さま』かC『旅人』かD『七つの子』の4パターンです。
A関所の役人がこわい
関所の役人だと考えるのが一番簡単です。関所を通る旅人から事情を聞いて、私だから通してあげたけれど、帰り道では通してくれるかどうかわかりませんよ。という意味であれば、筋道が通ります。
B天神さまがこわい
この4パターンの中で人ではないのはここだけですので、一番こわいのではなかろうか?と思うのは筆者だけでしょうか。
歌詞では天神さまの細道だから通せないと言っています。
三芳野神社は城内にあるために、一般庶民が入場できるのは年に一度の大祭か七五三の祝いの際だけでした。しかも場内では侍達が一般庶民を見張っています。やっと場内に入ってお参りしても、侍の監視の目がこわいと言っているのかもしれません。
C旅人がこわい
旅人は子供を連れた母親かもしれません。今は薄暗い夕方でも、帰る頃には真っ暗な山道を降らなくてはなりません。小さな子供を連れて心細く感じるけれど私はいくのです。という意味に解釈できるかもしれません。
D七つの子がこわい
この7つが七五三を表しているのかどうかはわかりませんが、当時(おそらく江戸時代)子供が7つまで元気で生きていることは、大変嬉しいことだったと思われます。
だとすると、子供の成長のお礼をしてもこれから、何か恐ろしい一筋縄ではいかないことが起きるかもしれません。という意味に解釈できそうです。
七五三の起源は室町時代と言われていますが、日本中に広まったのは江戸時代に入ってからだそうです。
当時、子供が産まれても言葉がうまく話せなかったり、5体満足ではなかったりした場合、住んでる地域の重鎮(村長など)の一言で、その子を今後も育てるのか育てないのかを決める、ということが実際にあったそうです。
そんな背景の中、子供を連れてお参りに来た母親がどういう状況で来たのかは想像するしかありませんが、いずれにしても胸に響くものがあります。
だとすると、物悲しいメロディと物悲しく恐ろしい歌詞にも頷けませすね。
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