ニコラ・テスラの出生
今回は交流電力やモーターを発明した天才科学者ニコラ・テスラについてのお話です。(都市伝説が含まれています)
神童ニコラ・テスラ
テスラが生まれたのは、1856年7月10日深夜(9日節もある)激しい雷雨の中で生まれました。
助産師がこんな雷の時に生まれるなんて、この子は不吉だというと、母親は稲妻を見てこの子は『光の子』と言ったそうです。
母親の見立て通り、テスラは大の雷好きで雷を見るとそちらへ走っていき、観察する子供だったそうです。
そして、5歳になる前に水車を発明したと自伝で述べています。
ナイアガラ瀑布を利用してエネルギーを作る
とおじさんに話していたそうです。
これはその約30年後にナイアガラの滝に設置された
世界初大型水力発電機として実現します
交流モーター
やがてオーストラリアのグラーツ工科大学へで学習し、この頃『グラム機』という直流機械装置の実演を見ました。
それはモーターが回転すると、バチバチと凄まじい火花が飛んでいます。火花が飛んでいるということはエネルギーの損失が生じているということです。
その原因が直流にあると見抜いたテスラは交流で駆動するモーターの発想を得ることになりました。
交流で駆動するモーターの発想を得る
研究に没頭するものの、在学中に父親が何も残さず 亡くなってしまったためやむなく中退します。
テスラの発想力の不思議
天才のひらめき
テスラは国営の電話局で技師として働きます。
ある日、友人と公園を散策中に光が目の前に現れてアイデアが突然降ってきました。
テスラは地面に製図を書き、交流システムの基本原理『回転磁界』を発明しました。
テスラはその後も何度も同じような経験をしていて、それは立体的に見えて、詳細で、頭の中で回転させたり分解したりできるホログラムのようだと述べています。
テスラは実際に機械を作る前に頭の中で脳内シュミレーションすることができたのです。
都市伝説では、この知恵は地球外生命体からもたらされたものではないか?という人たちもいます。
2018年にFBIの公式サイトで公開された機密文書の中で、
「宇宙人は何度も地球を訪れていた。宇宙人によると、テスラはもともと金星人で、1856年に赤ちゃんとして地球のユーゴスラビアのある夫婦に育てられた」
という記載があるそうです。
テスラ自身も、他の惑星の生物と交信していたと話していたそうです。
エジソン社へ入社
その後、エジソン社に入りエジソンの助手として採用されるようになります。しかし、エジソンは直流信奉者でした。
直流システムに大量の資本をかけていたせいかもしれませんが、交流システムにに社運をかけることができなかったのかもしれません。
失望したテスラはエジソンの元を離れます。
いち早くテスラのシステムが時代を動かすことを見抜いた、ウエスティングハウス電気会社の創設者は巨額な金額で特許を買い取ります。
一方、交流システムを恐れるエジソン側は交流発電機の危険を訴えました。
犬や猫を感電死させたり、象までも感電死させました。
しかし勝負は明確でした。電気鉄道、ネオン管、無線通信、エックス線・・・現代の私たちの生活は交流の電気のおかげで成り立っていると言っても過言ではありません。
まるでダヴィンチのように多くのことを成し遂げたのです。
1896年 テスラはワイヤレス電力伝送の実験を開始します。その点についてテスラ自身が『The World Today 』の記事で説明しています。
小さな発振器をコートのポケットに入れ、建設途中の鉄骨ビルを探しに街に出た。
ウォールストリート地区で鉄骨だけのビルを見つけた。
発振器を柱に固定し、調整を施すと、ビルがきしんで揺れ始め、地震が起きたと思ってパニックに陥った作業員が降りてきた
その後、警察が現場にやって来るとテスラは発振器をポケットに入れて立ち去ったという。
記者はこう結んでいます。『あと10分あればビルは倒壊していただろう。このマシンを使えば、ブルックリン橋を1時間以内にイースト・リバーに沈めることもできたはずだ』
無線の天才
テスラは『無線の天才』でもありました。
交流システムが完成したのち、テスラの研究は高周波、電磁波の分野へと移行します。
研究によって生み出されたのが、少ない電力で高い周波数を達成する変圧器です。
現在『テスラコイル』と呼ばれているものの原型となりました。

世界システム構想
テスラは大気上層の伝導層を利用する無線通信の構想を発表しています。
地球自体が巨大なコンデンサーとなり高周波の電流を送ることで情報のやり取りができると言うものでした。
1893年には実際に公演ステージ上で近距離の送受信実験に成功した様子を発表しています。
しかし、ここで研究所が火災になってしまいます。
それでも研究は続き、無線機で船をコントロールする遠隔無線操作術を発表します。
テスラは情報だけではなく、エネルギーを無線で世界中に送ることが出きればコストの削減にもなり、世界中の人々が電気というエネルギーの恩恵にあずかれるはずだと考えます。
これが、『世界システム』と言われているものです。
フィラデルフィア計画
これは都市伝説として語られるもので、第二次世界大戦中に新たな秘密兵器として「磁場発生装置テスラコイル」を使い、「レーダーに対して、駆逐艦を不可視化する」目的で行われたと言われています。
フィラデルフィア実験の目的 駆逐艦を敵のレーダーに映らないないようにすること
駆逐艦は確かにレーダーから消えました。実験は成功したのです。しかし、次の瞬間船は緑色の光に包まれ駆逐艦全体を覆ってしまいました。
次の瞬間船が浮かび上がり、やがて姿を消してしまったのです。どこへ行ってしまったのでしょう?実は2500mキロほど離れたノーフォークというところまで瞬間移動し、数分後発光体に包まれてまた元の場所に戻ってきました。
しかし、船の状況は目を覆うものでした。
船の壁に乗組員が吸い込まれていたり、生き残っていても精神異常をきたすなどの惨状を目の当たりにしてこの実験は無かったことにされた。という都市伝説です。
我々には確かめようがありませんが、
事実として第二次世界大戦で使われたものは上記のものではなく、多くの人の命を奪う別のものでした。
使命感に突き動かされていたテスラ
テスラの働き方は尋常ではありませんでした。1日の睡眠は2時間程度で研究に没頭していました。言い換えるなら何らかの使命を成し遂げようと必死だったということもできるかもしれません。
長身で、イケメンの天才で女性には非常にモテました。しかし、テスラは研究以外には
また数字に対するこだわ
世界システム
ニコラ・テスラは地球規模の送電システム構想『世界システム』を思い描いていました。
1899年 テスラは地球の帯電を確認するためにロッキー山脈の裾野コロラドスプリングスに実験施設を建設します。
巨大なテスラコイルとアンテナアースから電流を地中に送り込み地球の帯電を知ろうとします。
結果はその地域一帯を停電させてしまうほどでしたが、テスラは実験で理論の正しさを確信し、『世界システム』に関する論文を発表しスポンサーを募ります。
投資家のJ・Pモルガンが名乗りを上げ実験施設の建設が始まります。しかし、壮大な計画ゆえに建設費が嵩みすぎやがてモルガンからの資金援助も打ち切られてしまいます。
テスラが無線通信から念願の無線送電に切り替えてしまったからです。無線送電が可能になれば送電コストも下がり、資金援助も無駄にならないはずでした。
しかし、時を同じくしてイタリアの通信技師グリエルモ・マルコーニが大西洋を横断する『S』というモールス信号のを届けることに成功します。
実はその装置にはテスラの特許が数多く使われており、裁判を起こしましたが、テスラが勝利したのはテスラ没後半年のことでした。
晩年
世界システム計画が頓挫した後も、高性能タービン、垂直離着陸機など発明意欲は衰えることはありませんでした。
1943年1月7日 テスラはホテルの一室で孤独な死を迎えます。
テスラは生前、自分の論文や研究資料の管理を甥に任せていましたが、甥が到着した時には全ての資料、全ての科学論文が消えていました。
(この甥の方について、調べてみてください。とても興味深いことに気付かされるかもしれません。)
wikiによると、押収後に複製されて母国に返還された。原版はニコラ・テスラ博物館に保管されているそうです。