ソドムとゴモラは、ヘブライ語聖書の『創世記』の中に登場する二つの都市の名称です。
そこに描かれている内容は、この二つの都市に住む人々の悪行が神の目に許し難いものとなったために『神の裁きの火』『火と硫黄』によって滅ぼされたというものです。
この記述から、ソドムやゴモラという表現は甚だしく退廃的な悪事のはびこるさまを表す代名詞となりました。

ソドム
ソドムも、ゴモラも都市の名前です。正確な場所は不明ですが、死海南部であろうと言われています。
神の裁きで滅ぼされたというお話になっています。その理由は甚だしい淫行でした。
ソドミーという言葉を聞いたことがあるでしょうか?
このヘブライ語聖書の一件から生まれた言葉で、ソドミーは『不自然な性行動』を意味しています。獣姦や男色を意味します。
生殖器と、非生殖器での性交全てを意味し対象は性別を問わず、人と動物の区別もありません。
そのあまりの乱れっぷりに、神は一旦その土地の人々を滅ぼすことにしましたが、それを知ったアブラハムの提案で義人だけは助けること にします。
登場人物は『ロト』とその妻、二人の娘とその夫、神の使いたちとなります。
ロトの人物像
義人
ロトの人となりについて、新約聖書ペテロ第二2章では『義人』と述べられています。
聖書の中でアブラハムは神に愛され、カナンの地を与えられます。そのアブラハムと生活を共にし、アブラハムから信頼されていたことなどからも、ロトの人となりを窺い知ることができます。
聖書の中では名前を挙げる場合に必ずしも年長者からあげるということはなく、神の目から見て正しい人から長子として数えられる場合などがあり、その点でもロトは当時のヘブライ語聖書で述べる義の基準に当てはまる人物だったのだと洞察できます。
アブラハムの甥ロト
ロトは、アブラハムの兄弟であるハランの息子です。アブラハムの甥に当たります。
セムの家系となります。

ハランには他に二人の娘がいました。

ロトは幼い頃に父親を亡くしアブラハムとサラのもとで成長します。
ですから、アブラハムや、サラが神を信仰しておりさまざまな祝福を得たと確信していたこと、二人の生き様を幼い頃から見てきたことを推察することが出来ると思います。
しかし、ロトが成長し自分の牧者たちを持つ様になると、アブラハムの牧者とロトの牧者たちとの間に争いが起こる様になってしまいます。
この争いを鎮めるためにアブラハムはロトに好きな土地を選ぶように伝え、そこで暮らすようにと指示します。
土地の選択権を与えられたロトは、肥沃で見た目が美しい大地『下ヨルダン地域一帯』を選びます。
そんな経緯から、ロト一家は野獣のような(?)人々の中で生活するようになります。
アブラムはロトに言った。「聞いてください。私とあなた、また家畜の世話係同士の間に言い争いがあるのはよくありません。
私たちは兄弟なのですから。 どこでも好きな地域を選んでください。別々に暮らしましょう。あなたが左に行くのであれば、私は右に行きます。
あなたが右に行くのであれば、私は左に行きます」。
ロトは目を上げ、ゾアルまでのヨルダン地域全体を見た。
そこは水が豊かでエホバの園のようであり、エジプトのようでもあった。
そこでロトはヨルダン地域全体を選び、宿営を東方に移動させた。
こうして彼らは別れた。 アブラムはカナン地方に住み、ロトはヨルダン地域の町々の辺りに住んだ。やがてロトはソドムの近くに天幕を張った。
創世記18:8−12
神の使いがアブラハムの前に現れる
一方、アブラハムはある時、三人の人が立っているのを見かけます。
アブラハムはすぐに神の使いだとわかったようで、もてなしをさせてくれる様に願いでます。
アブラハムが目を上げると少し離れた所に3人の人が立っているのが見えた。
それでその人たちを迎えるために走っていきひれ伏した。
エホバ私がもしあなたの好意を得ていましたらどうか,私の前を通り過ぎないでください。 水を少し持ってきますので皆さんの足を洗わせてください。
そして木の下で休んでいってください。せっかく来られたのです。パンもお持ちしますので召し上がって疲れを癒やし旅をお続けください
ちなみにこの時に、アブラハムの妻サラは男の子が生まれるという予言を受けます。(ヨセフ)
3人の使いたちはソドムとゴモラについて、罪が極めて重いのでそれを確かめに行くのだと言います。
それに対してアブラハムは、もし町の中に正しい人が五十人いたらそれでも滅しますか?と尋ねます。
神は、五十人の正しい人がいるならその人たちのために街全体を赦しましょうと話します。
アブラハムはなお、では四十五人ならどうですか?四十人なら?三十人なら・・・十人なら・・・と尋ねます。その度に、神はその十人のために街全体を容赦すると答えます。創世記18章
神の使いとロトとの出会い
二人のみ使いたち(先程は三人)は夕刻にはソドムの街に到着します。アブラハムの言うように正しい人がいるのか?邪悪さがどの程度のなのかを確かめるためです。
ロトは二人を見つけると家に来て泊まってくつろいでくれる様にと願い出ます。二人の御使はその申し出を断りますが、ロトの熱心さにロトの家に泊まることにします。
その様子を見ていたソドムの街の男たちは、夜眠りにつく頃に集団でロトの家を取り囲み、たづねてきた2にをこちらに差し出せ!我々と寝るためだ!と言います。
神の使いの性別に関する記載はありませんが、聖書の中で一貫して御使は男の様に描かれていることからここでも男性(男神)であると思われます。
ヘブライ語聖書の中で述べられている御使いの名前はガブリエル、ミカエルのみで、ジェームズ欽定訳ではルシファーと言う名前が出てきます。
ルシファーにな関してはいろいろな解釈があります
娘たちを差し出そうとする
ロトは二人の使いたちに何かあっては大変だと考えたのかもしれません。ことを収集させるためにこんな提案をします。
私には男性と関係を持ったことがない娘が2人います。
2人を差し出しますから、どうぞいいようにしてください。
でも、あの方たちには何もしないでください。
それを聞いた人々はさらに怒り、力づくで家に押し入ろうとします。
すると、家にいた二人の使いがロトを家の中に引き入れて戸をしめ、戸の外にいる人々の目を見えなくします。
滅びの宣告
客(御使い)たちはロトに私たちはこの街を滅ぼそうとしています。他に親族がいるならば、連れてこの街を出るようにしなさいと告げます。
ロトはすぐにロトの娘たちと結婚することになっていた婿達に神がこの街を滅ぼそうとしているからすぐに街を出るようにと話します。
しかし、婿たちはロトが冗談を言っているのだと思います。
夜が明けようとしていた頃、御使たちはいよいよロトに急いで逃げる様告げます。
妻と娘たち2人を連れて出なさい
この町の過ちのためにあなたが除き去られることがあってはいけません
ロトがぐずぐずしていると、その人たちはロトと妻と娘たちの手をつかみ町の外に連れ出した。
町の外に連れ出すとすぐにそのうちの1人は言った。
「生き延びるために逃げなさい! 後ろを振り返ってはいけません。
この地域のどこに立ち止まってもいけません。除き去られないよう山地に逃げなさい!」
ロトの妻は塩の柱となる
ロトの妻の名前は聖書中には出てきません。
聖書の中で名前を挙げられている女性はイエスキリストに繋がる家系の女性などで、多くの女性は名前を挙げられてはいませんし、民数記などでも数に入れられていないようです。

先に述べた娘二人に関しても、一緒に残っている二人の娘(創世記19:15)と言う表現から他にも娘が居た可能性もあります。
ロトの元にいた御使たちはロトたちに早く逃げる様にせきたて、ロトとロトの妻二人の娘たちの手を掴みゾアルという都市に逃れる様に告げます。
四人は急いで逃げますが、途中でロトの妻は後ろを振り返ってしまいます。
聖書の記述を見ると一度振り返ってしまった・・・という感じではなく『何度も振り返るようになった』というニュアンスで書かれています。
ソドムの街で行われていた邪悪さや道徳的な退廃ゆえにロトは苦労することになった様ですが、ロトの妻にとっては必ずしもそうではなくその街で行われていることや、価値観は魅力的なものに映っていたのかもしれません。
ですから、そこで享受した楽しみに対する『未練』『名残惜しさ』などの気持ちがロトの妻を捉え『振り返る様になった』のでしょう。
その結果。ロトの妻は『塩の柱』となってしまいます。

日が昇った頃ロトはゾアルに着いた。
そこで神はソドムとゴモラに硫黄と火を降らせた。
神のもとから天から硫黄と火が降ったのである。
こうしてその町々を滅ぼした。その地域全体を住民も植物も皆滅ぼした。
一方、ロトの後ろにいた妻は振り返ったため塩の柱になった。
見てはいけないと言うタブー
決して後ろを振り返ってはならない、決して覗いてはいけない、決して開けてはならない・・・そう言った類のタブーは全世界の神話、民話、童話の中にも見ることができます。
例えば、ギリシャ神話のエウリュディケーの物語は、蛇の毒牙によって妻であるエウリュディケーを生き返らせるために夫のオルペウスは冥界へと出向きます。そして、冥界の神ハデスからエウリュディケーを返してもらうことに成功します。ハデスとの約束は『地上にたどり着くまで決して後ろを振り返ってはならない』というものでした。
しかし、冥界からあと少しで向け出せるという時に、本当にたすかるだろうか?本当に妻はついてきているだろうか?と不安にさいなまれたオルペウスは後ろを振り返ってしまいます。それと同時に最愛の妻エウリュディケーは再び冥界へと引き戻されてしまいます。
日本神話にもよく似たエピソードが出てきます。
硫黄と火による滅び
硫黄と火による滅ぼされて以降は、ソドムとゴモラという都市の名前は甚だしい邪悪さ、邪悪差ゆえに、神からの滅びをもたらす『絶滅』の象徴的な言葉として用いられる様になりました。
創世記14章を読むと、アブラハムが全力でロトの窮地を救った事が書かれています。
新約聖書中では、イエスキリストが『人の子の日はロトの日の様になる』などと述べてます。
ロトの日
ロトの日、それはソドムとゴモラが天からの火と硫黄によって都市全体が滅びた日のことです。人の子の日というのは、ヘブライ語聖書の中ではこの世の終末を表しています。
新約聖書の中でイエスキリストが『ノアの日』『ロトの日』と表現して、世界の終末期に起こるであろう事柄に言及しています。
人の子の時代にはちょうどノアの時代のようなことが生じます。
ノアが箱船に入る日まで人々は食べたり、飲んだり、結婚したりしていました。
そして、洪水が来て全ての人を滅ぼしました。
同じく、ちょうどロトの時代のようなことが生じます。
人々は食べたり、飲んだり、買ったり、売ったり、植えたり、建てたりしていました。
しかし,ロトがソドムから出た日に天から火と硫黄が降って全ての人を滅ぼしました。
人の子が現れる日も同様です。
週末の目標となる事柄の一つとして偽教師や偽預言者が現れて異端を持ち込み滅びへと突き進むと述べられてています。(ペテロ第二2章)
聖書の神から見ての異端、偽預言者とは何を表しているのかの考察は別の機会に書いてみたいと思います。
彼らは、貪欲なので、作り事のことばをもってあなたがたを食い物にします。彼らに対するさばきは、昔から怠りなく行なわれており、彼らが滅ぼされないままでいることはありません。
神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。
また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました。
また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、以後の不敬虔な者へのみせしめとされました。
また、無節操な者たちの好色なふるまいによって悩まされていた義人ロトを救い出されました。
遺跡から場所を推察
死海周辺の都市の遺跡からは、多くの墓が見つかっており、その数から当時の都市の人口は100万人を超えるであろうと言われています。
さらに、それら遺跡は石灰岩が硫黄で燃やされてできる副産物である硫酸カルシウムでできています。
そして、この地域から『純度の高い硫黄の玉』が多く発見されています。
神は硫黄と火と天からソドムとゴモラの上に降らせて
創世記19章24節
隕石説
硫黄と火による、都市を一晩で消し去って滅したやしてしまうものとしてある人は『核兵器』や『隕石の衝突』を思い浮かべます。
実際、アメリカの研究チームの発表によると、ヨルダンの死海のほとりにある遺跡「タル・エル・ハマム」は、隕石が爆発して非常な高温によって溶けてしまった陶器のかけらなどが発見されています。
そのような隕石の衝突が神の意思によったものだったのか?
ソドムとゴモラの実在の証拠がこの遺跡にあるという科学的な証拠はありませんが爆発の口頭伝承が聖書のソドムとゴモラの記述に繋がったと考えることは不自然なことではないと思います。
この爆発の規模は、かつて広島に投下された原子爆弾の約1000倍で落下した隕石の直径は50メートル張ったと想定されています。死海の北側にあたり紀元前4700年ごろから存在し、おそらく紀元前1650年ころに破壊された様です。エルサレムの十倍ほどの広大な都市だった様です。発掘では4階建ての宮殿が押しつぶされてしまった様子も発見されています。
さらに、この一件の際の地層で異常な高濃度の塩分が検出されています。
ヨルダン一帯は肥沃な大地が多いにもかかわらずヨルダン渓谷周辺に関しては高濃度の塩分によって農業が不可能です。
それは、隕石の落下爆発の影響で死海の湖水が周辺に撒き散らされたためであろうと推測されています。
硫黄

日本には火山が多くあるので昔から硫黄の鉱山は経済活動とも関係する資源ともなってきました。
色は黄色、融点が百十三度と低く簡単に燃えて燃えると無臭だった硫黄が刺激臭を伴う二酸化硫黄を形成します。(いわゆる温泉の様な?卵の腐敗臭の様な匂い)
実はこの二酸化硫黄は玉ねぎの硫黄の化合物が含まれています。ですから玉ねぎをちょっと刻むだけで目に染みてしまうのです。
硫黄が降り注ぐ状況の刺激と熱がどれだけのものか想像するのも恐ろしいですね。
さて、この硫黄ですが聖書の記述では、神の元(天)から降ったとされています。
通常、地熱活動による硫黄だと、純度が40%以下だそうです。しかし、遺跡の都市で見つかった硫黄の玉は純度が高く地熱活動で現れたものではないそうです。
硫黄が地熱活動由来のものでないとしたら、いったいどこからきたのでしょう。文字通り、点から降ってくるものといえば、隕石か、現代の核兵器のようなものが、思い浮かびます。
米国の考古学者のチームは死海付近の複数の都市が上空からの高温の爆風によって滅亡したのだと発表しています。
放射性炭素年代測定や鉱物の分析によって、2500年以上人が生活していた痕跡があるにもかかわらず、青銅器時代の終わりごろに突然極度の高熱と爆風がその地域を襲った痕跡が見られるからです。
隕石に畏怖の念を抱く
インドラの矢、インドラのイカヅチと書かれていて、矢が放たれると激しい風が吹き荒れて太陽は揺れ、宇宙が焼け焦げたと書かれています。煙と、炎の柱、死体の髪の毛や爪は抜け落ちて誰だかわからないほどになります。
ヒッタイトの神話にもよく似た話が存在しています。
ギルガメッシュ叙事詩には隕石を思わせるものが登場します。さらに、隕石をご神体として崇め祀る最も有名な場所はカーバ神殿です。
また、アボリジニーは隕石を非常に恐れ、地中に隠します。なぜなら、対象がそれを見ると、もっと多くの人を殺すためにもっと多くの隕石が降ってくるからです。
選ばれた人
ロトとその家族3人(妻と娘二人、妻は塩の柱になった)はこの災厄から逃れることができました。それは二人の御使が助かる方法を授けたからです。
それより以前のノアの時代はノアとその家族、選ばれた8人の人々でした。
聖書の最終章である黙示録の中には選ばれる14万4000人の人々とその他大勢の神に仕える人々のことが言及されています。
宗教的な観点の見方は割愛するとして、天からの御使(人より強力な力を持つ高次の存在)から助言を受けて、地上の災難を逃れた人の話は世界の神話や伝承の中にも見られます。
ロトの妻を思い出せ
その日、屋上にいる人は家の中に持ち物があっても取りに下りてはならず、畑に出ている人も、物を取りに帰ってはなりません。
ロトの妻のことを思い出しなさい。
自分の命を安全に守ろうとする人はそれを失いますが、自分の命を失う人はそれを救います。
あなたたちに言いますが、その夜2人が1つの寝床にいて一方は連れていかれ、他方は捨てられます。
2人の女性が同じひき臼を回していて一方は連れていかれ、他方は捨てられます。
考察
ヘブライ語聖書では一貫して、神から選ばれた民族は神の目に叶うならどんな苦労や、苦難があっても助けられるという事になっています。
隕石のせいで特定の箇所が滅んだことを目の当たりにした人々は、なぜこんな事が起きるのだろうと思った筈です。そして、これは神の怒り、神の目にそぐわなければ神はこの様に選んだ人だけ救うことも出来るということを強調したのかもしれません。