今回の内容は、巨人ネフィリムについてヘブライ語聖書(旧約)の記述と、外典エノク書の記述を中心にまとめています。
ネフィリムには『倒すものたち』という意味があります。

ネフィリムの登場
人が地のおもてに増え始めて、娘たちが彼らに生れた時、
神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」
そのころ、またその後にも、地にネフィリムがいた。
これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。
主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、
「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。
しかし、ノアは主の前に恵みを得た。 創世記6:1−8
ノアの洪水伝説との関係
上記の創世記の記述によれば、ネフィリムは神の子たちが地上の女性達に産ませたもの、という記述の後に人びとを一旦滅ぼそうと決断したと書かれています。
人類と神の子達のハイブリッドが、ネフィリムということです。
洪水の後は、肉体を持つものはすべて滅びたということになっていますから、肉体を持ったネフィリムも滅んだことになっています。
一方、ネフィリムを生み出した神の子たちは、地上での体を脱ぎ捨てることが可能ですから別の場所へ逃げます。
その後の記述を見ると、それらの御使いたちは天にいることを許されず、この地上に漂っている?こと解釈できます。(この点も実に興味深いのでいずれまとめたいと思います)
聖書のテーマ
ヘブライ語聖書の中で、最高神が人類を滅ぼすことにしますが、一方でノアという人とノアの家族は救済することにします。
救済の理由
ノアは正しい人で当時の人々とは異なり、非の打ち所のない人で、神とともに歩んだ
(創世記6:9)
創世記のアダムとエバの記録では、アダムとエバとの約束は人類が増えて地上が豊かに満ち溢れて、動物たちを管理して年老いること無く、永遠に、神の秩序のなか、一人の神を崇拝し生きることだと述べています。
神と人の約束は神を崇拝して専心を示すことで、当初の目的を神を決して忘れてはおらず、最終的には救ってくださるというのが、聖書全体のテーマだと思います。
しかし、アダムとエバの代で人類は失敗してしまったのだということになっています。

人の体をつける
地上に降りて地上の女性たちと関係を持つために、御使いたちは人の体をつけることが必要だったようです。
み使い
御使い英語でAngel ヘブライ語でアルマーク、ギリシャ語でアンゲロスで旧約、新約あわせて400回ほど出てくる言葉です。
ミカエルという天使長、セラフと呼ばれる集団、ケルブと呼ばれる天使たちがいて、その数に関しては、千の数千、1万の1万倍と書かれています(ダニエル7:10)
ロトの前に現れた御使いなどの例で、男性のように見えたことが書かれているからです。
真の神の子が、人の体をつけて地上に来て女性と関係を持ったことで、能力の高い、力のあるしかし、」神の目に邪悪で巨大な人間が誕生しました。
外典と言われている、ヨベル書の中では
巨人たちが存在していて、巨人たちが人の女性をめとり生まれたのがネフィリムだと書かれています。
ネフィリムたちは仲が悪く共食いし、お互いに殺し合っていたと書かれています。
聖書の外典 エノク書の記述
大抵のキリスト教で外典または偽典とされている書の一つにエノク書という巻物があります。

ヘブライ語聖書に出てくるエノクは二人、アダムとエバがカインとアベルを生み出した後の子供がエノクと言います。
そしてもう一人、アダムから7代目の人、エノクです。このエノクさんはとても不思議で『死を見ないように移された』人と書かれています。
しかし、本当にこのエノクがこの 外典エノク書の筆者なのかどうかの確証は得ることができません。

筆者はエノク書を持っていませんので、wikipediaを参考にしました。
200人の天使たちが集まった。かけらのリーダーはシェムハザでその他、アラキバ、ラメエルなど20名が天使たちの長であった。
彼らは互いに誓いを立て、人間の娘たちを妻にめとった。
その際に人間に禁じられた知識(剣、盾、胸当て等の武器のつくり方や、腕輪、眉毛の手入れの仕方、呪術、薬草、占星術などを教えたが、それによって男は武器で争うことを、女は化粧で男にこびを売ることを覚え
地上には不敬虔や姦淫など様々な悪行がはびこることになった。
堕天使と女性達との間には、身の丈3000キュビト(1350メートルほど)の巨人ネフィリムが生まれ、彼らは地上の作物はおろか、鳥や獣、人間を食い尽くし、最後には共食いまでも始めた。
見目麗しい娘たちをみて欲情した覚醒者たちが、自分たちのために人間の娘たちの中から妻を選びます。
彼らの支配者セミアザスは、このことで私一人が大きな罪を負うものとなるのは恐ろしいと訴えます。そこで、ことが成就するまでお互いに呪いをかけて誓い合うことにします。
その数は二百人 そして、大洪水に至るまでに3種族もうけ、その一つが巨人たちでした。
その結果、不敬が生じ、同時に、妻や子に対してさまざまな知恵も与えます。
それは、金属(武器など)、染料、魔術(薬草類)、天体のしるしや占星術など文明の技能方法でしたが、
それによって人々は堕落していきます。
生まれた巨人たちは人の肉を食べ始め、人が少なくなり、地上には不正が満ちるようになります。
そこで人々は天に向かって助けを求めます。
神はノアを助けるために使いを使わせます。
興味深いのは、反逆側の未使いの人数、名前など詳細が記録されている点です。
もしかするとこのリーダーは失楽園での蛇?なのでしょうか?


また、注目すべき点としては堕天使たちが、人々に与えた知恵です。それによってネフィリムたちは古代の英雄、または暴君になっていったのかもしれません。
人類史にたびたび訪れる急激な発展の裏側には、もしかすると堕天使の後押しがあるのかもしれません。今全世界を支配している蛇なのでしょうか。
洪水後の巨人
もう一つ、ネフィリムという語句が出てくる箇所は民数記13章です。そこにに描かれるネフィリムの描写から、ネフィリムは巨人であるという事になっています。
わたしたちが行き巡って探った地は、そこに住む者を滅ぼす地です。
またその所でわたしたちが見た民はみな背の高い人々です。
わたしたちはまたそこで、 ネフィリムから出たアナクの子孫ネフィリムを見ました。
わたしたちには自分が、いなごのように思われ、また彼らにもそう見えたに違いありません。民数記13:32,33
アナクの子孫
アナクとは、アナキム人と呼ばれる人びとで、民数記13:22では、アヒマン、シェシャイ、タルマイという3人の名前が上がっています。
これは、イスラエル人が神の約束の地を得るためにスパイとしてつかわした人々が帰って来て報告した言葉です。
申命記1:28にはアナク人が自分たちより背が高くて大きな人種であり、天に届く城壁に囲まれて街に住んでいると話しています。
この一件はノアの洪水ごのできごとで、ヘブライ語聖書の記述どおりであるならば、ネフィリムは滅びているはずですから、このスパイたちの報告は『虚偽』である可能性が高いと言えます。
虚偽であるなら、その理由は繁栄する街をみて戦うことを恐れたのでしょう。
しかし、虚偽ではなく本当に『ネフィリムがいた』可能性もあるでしょう。
エミム、レファイム
かつてはエミムがそこに住んでいた。
それは大きく数が多くアナキム人のように背の高い民であった。
レファイム人についてはこれらもアナキム人と同じようにみなされていたがモアブ人は彼らのことをエミムと呼んでいた。
申命記2:10
アナク人に対して大きな人々とかかれていますが、このアナク人と同じように見なされた他の民族の記述もあります。
エミムという人々です。
さらに、申命記2章21では、ザムズミムと呼ばれる人々のことも書かれています。
ネフィリムを表す部分のギガンテスですが、この言葉が英語のジャイアンツの語源となっています。
レファイム人
サムエル後21章ではラファという名前の人の子孫でレファイムと呼ばれていた巨人族が居たと書かれています。
だとすると、ノアの大洪水で巨人はすべて居なくなったということと矛盾します。
現代知られている症状としては、体が異常に大きくなる巨人症や多指症と呼ばれる症状もありますが関係性はわかりません。
巨人ではないか?と思われる記述
ネフィリムではないか?と思われる聖書中の登場人物をいくつかあげてみます。
バシャンの王オグ この王の棺台は長さ9キュビト(4㍍),幅4キュビト(1.8㍍)だったと書かれています。
ゴリアテ ダビデ王が少年時代に倒したゴリアテは身長が6キュビト(3メートル弱)と書かれています。
イシュビ・ベノブ ダビデの命を狙ったこの人は重さ約3キロの槍を持っていました。
ゴリアテの兄弟ラフミ 使う槍の柄が機織り期の舞希望のように太いと書かれています。
また、手足の指が6本づつある巨人がいた(サムエル後21:20)と書かれていて、レファイム人の子孫であると書かれています。
ダビデがフィリスティア人と戦った時,ダビデとその僕たちは「ガトでレファイムに生まれた」4人の男たちを討ち倒しました。その一人は「手の指と足の指が六本ずつ,二十四本ある,異常な大きさの男」だったと描写されています。
ヨシュア記の記述
結局、ヨシュア記ではこれから神の言われた土地を奪いに行くイスラエル人にとって、これら不安材料な報告はさておき、果敢に(?)攻め込み土地を勝ち取っていくことになります。

神の子の関与はなかったのかもしれない
ネフィリムは神の子たちが天の居場所を捨てて、地上の女性たちと関係を持って産まれたという解釈が一般的ですが、そうではなく単に傍若無人で暴力的な体格のいい人のことを指しているのかもしれないとの解釈も成り立ちます。
ヘブライ語意味は解釈が難しく、暴力的で悪名高きネフィリムが現れてその悪い特質が、親から子へと引き継がれていったという意味にも解釈できるのです。
唯一の神を崇拝するべきであることの強調
強靭な肉体を持つ部族、恐ろしい巨人にも勝る力が、唯一の神から与えられるのだ。ということの強調のための記述でしょうか。
つまり、信仰こそがすべてで、信仰心が足りないから恐れるのだ。唯一の神に信仰を働かせて神の意志を遂行するなら、どんな巨人でさえ恐れることはないのだ・・・と。
そして、ネフィリムは昔の勇士、有名な人々である。と、表現されています。
善と悪の設定
先に少しふれた点ですが、聖書の記述の中に天の御使が人の体で現れるシーンがいくつかあります。御使いが天の居場所を離れて地上で女性との間に子供を設けた際に、天使のままではなく人の体をつけて、人の女性をめとることは十戒で禁じられる姦淫で、忌むべき行いでした。
アブラハムの前に三人の御使が現れるシーンなどですが、聖書の中の神々たちと表現される御使は、人の姿をとることもできるということのようです。
また、人類の創造の際に我々に似た形で人を作ろうと言っていることから、視覚化すると男性に見える体のようです。
いずれにせよ、神の使いたちには二つのグループがあるというストーリーになっています。一つはノアを助けようとした真の神と神に使える御使のグループ。
もう一つは、自分の欲望を満たしタブーを犯した、つまり、唯一の神に従わない、みつかいのグループがあるというのが聖書の善と悪の設定です。
天から地上に降りて人との関係を持つことで、あからさまに神の指示に叛いた御使たちの一団が存在していたとかかれています。
洪水以降
ヘブライ語聖書通りであるなら、ノアの洪水以降、生き残った人類はすべてノアの家系です。
先にも述べたとおり、洪水以降は肉体を持っていた全てものは滅んだという設定です。
しかし、人の体をつけていた霊的な存在(ネフィリムの父)たちはどうなったのかというと、ヘブライ語聖書にその記述を見出すことはできませんが、ギリシャ語聖書(新約)にはタルタロスに投げ込まれた(ている)と書かれています。そこで、最終的な裁きを待っていると言う表現です。(ペテロ第2 ・2:4)(ユダ6)
であるなら、スパイたちが報告した、巨人らしき人達は、巨人らしき人であって巨人ではなかったということになるでしょう。
しかし、それ以降のお話でも、神への反逆は続いていきますし、巨人族の記述があります。
ヘブライ語聖書とギリシャ語聖書の記述どおりだと解釈すると、天の反逆した堕天使たちは
洪水の際に人の体を捨てて一旦は天に戻ったものの、天にいることは許されず、タルタロスに投げ込まれたことになります。
ギリシャ神話では奈落を指すこの言葉が、聖書中では場所のことをさすのか?状態のことを言っているのか?解釈が分かれる箇所でもあります。

巨人族はどこへ消えたのか
ヨシュア達の侵攻によって、カナンの地が制圧された際、聖書の記述によると、王たちは処刑されていますが、その地にいたすべての人々を根絶やしにしたと書かれていますが、脱出に成功した人もいたかもしれません。
背の高い人々(ネフィリムかどうかはわかりませんが)が、カナンの地を脱出したとも言える伝説を持つ先住民がいるのです。
先住民に伝わる伝説
白い巨人
各地のインディアンにはある共通した言い伝えが存在しています。それは、白い巨人がいたという伝説です。
白くて、巨大で、赤毛です。
その性質は各部族によって捉え方が様々で、残虐で肉食で周囲の部族に対しては敵対的で、広い範囲を支配し栄華を誇っており、道徳的には退廃しており、ある日忽然と消えたという点で一致しています。
イヌイットの口伝
イヌイットの伝説に出てくる巨人は心優しい巨人です。極北地域に住んでいて、ツニートと呼ばれており人と出会うと、血の涙を流して逃げると言われています。
パタゴニア
パタゴニアという名前は、パタゴンの住む土地という意味があります。パタゴンとは、16世紀の探検家マゼランがつけた名前で南アメリカ南端にいた巨人族をさしています。
テウェルチェ族とも呼ばれ
カナンから北方向へ向かい大西洋を渡ったのだとしたら、あながち嘘ではないような気もしますが、あなたはどう思われますか?