古事記

古事記6 天岩屋戸 考察

天岩戸

今回は有名な天岩戸のエピソードについての考察です。はじめにざっくりとストーリーを見て、登場人物と使用されている言葉の意味から解釈されている説をまとめています。

高天原で、スサノオとアマテラスが神々を生み出した考察はこちらをご覧ください。

古事記 5 アマテラス ・ スサノオ イザナギがみそぎを行って様々な神々を生み出し、最後に生まれた三貴子 アマテラス・ツクヨミ・スサノオはそれぞれイザナギから太陽 月 海 ...

内容

高天原において、5体の神々を生み出したのち、スサノオはひどいイタヅラを繰り返します。

スサノオの傍若無人っぷりにアマテラスは天岩戸に引きこもってしまいます。

アマテラスが引きこもった影響は、高天原だけではなく、葦原中国もすべてが闇に覆われ、ありとあらゆる災が起こりようになります。

神々は自体を正すために、相談しタカミムスヒに対策を考えるようにと、頼みます。

方法は、隠れてしまった岩戸の前で、大勢でエンターテイメントを楽しむことで何事か?と覗きに来たところをアマテラスを引き出して、岩戸を閉め切ってしまおうという計画でした。

計画は成功し、無事に世界に光が取り戻されます

スサノオの行動の謎

ことの始まりは、スサノオは根の国にいる母親に会いたいと意気消沈し自暴自棄になったことで、生みの親イザナギの怒りを買って追放されてしまったことから始まります。

古事記の記述では、イザナギが一人でスサノオを生み出しているので、母に会うという時点で矛盾しています。

追放されたので、母に会うために根の国へ行こうとして、その前に姉のアマテラスに別れの挨拶をしに行ったはずでした。

ところが、スサノオが攻めてきたと勘違いした天照の疑いを晴らすために、うけいをして、一緒に5人の神々を生み出します。詳しい経緯はこちらをご覧ください。

攻めてきたと勘違いするくらいですからもともとスサノオはとんでもない弟だったかのように感じてしまいます。

古事記 5 アマテラス ・ スサノオ イザナギがみそぎを行って様々な神々を生み出し、最後に生まれた三貴子 アマテラス・ツクヨミ・スサノオはそれぞれイザナギから太陽 月 海 ...

更に攻めに来たという疑いが晴れ、スサノオの潔白が証明された後に、高天原で大暴れしてアマテラスを悩ませたと書かれています。

しかし、何故そんなことをしたのでしょうか?!普通に考えて不自然な気がします。

神様なので不自然でもおかしなことではないのかもしれませんが・・。

天岩戸

思金神

困った神々が天の安川に集まり相談し、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)の子、思金神(オモイカネノカミ)に解決策を考えてもらうことにします。

オモイカネはとても頭の良い神だったようで、後にニニギノミコトの補佐役として登場します。

タカミムスヒは、別天神の中の造化三神の一人です。詳しくはこちらをご覧ください。

古事記 2 神産み 創生の神々 前回は序文についてと、編纂された時代についてまとめました。今回から上巻を少しづつまとめていきたいと思っています。 ...

エンターテイメントの内容

長鳴鳥を鳴かせる

常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)

明け型に鶏が大声でコケコッコーとなかせるということですが、時を知らせるという意味合いと、音で魔を祓うという考え方があったようです。

長鳴鳥を宿り木に乗せて、鳴かせてその内側にアマテラスが鎮座していたということから、鳥居はこの宿り木を表していて、鳥居の中は神が宿る神聖な場所とされるようになったのではないかと言われています。

鳥居に関してこんな説も、詳しくは以下をご覧ください。

日本人の風習と似ている 旧約聖書中の記録 赤と朱 無酵母パンとヒソプと榊  このサイトでは古くから伝わる風習や、行事、童謡や昔話など、どこか不思議で不自然で不気味にさえ感じるような事柄を、色々な角度から...

魔除け的な意味があって、鶏といえばヨーロッパの風見鶏を思い出しますが、鶏の鳴き声が時を知らせること、その性質には警戒心や用心深さがあることから見張るという意味、そして鳴き声には悪魔を寄せ付けない力があると考えられていたようです。

鏡・勾玉・占い

天津真浦・伊斯許理度売命

天津真浦(アマツマラ)に精錬させ、伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)にを造らせます。

アマツマラが具体的に何をしたのか記述がありませんが、名前の前の記述の前に鍛人と書かれているので鍛冶をする神のようです。鏡を作るためだったのかもしれません。

イシコリドメは、鋳(い) 凝(しこ)で、鋳造の凝固を表すとする説など諸説あるようです。 イシコリドメは後の天孫降臨場面でも登場します。「メ」が女性を表すといわれていて、一般的には鋳物や金属加工の神と言われています。

玉祖命天兒屋根命布刀玉命

玉祖命(タマノヤノミコト)に八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作らせ、天兒屋根命(アメノコヤネノミコト)と布刀玉命(フトダマノミコト)に占いをさせます。

タマノヤが八尺の勾玉をつくったとありますが、八尺とは約1.4メートルですが、単に大きいという意味の八尺かもしれませんし、栄華を表す言葉なのかもしれません。

古事記では、五百津之美須麻流之珠(いほつのみすまるのたま)と続けて、数を強調しています。これらの勾玉はフトダマが持つの木にかけられました。

勾玉についてはこちらをご覧ください。

古事記4 みそぎから生まれでた神々 今回はイザナミと無事(?)離婚して中つ国にもどてきたイザナギですが、黄泉の国に行ってきたために自分が穢れてしまったと感じ、身を清めるこ...
占い

雄鹿の骨を桜の木で焼いて占います。古代に行われていた卜占(ぼくせん)の一種で、焼くことでできる割れ目や模様によって吉凶を占います。

魏志倭人伝骨を焼いて吉凶を占った事が書かれています。

骨をもちいた占いは世界中に見られます。骨を燃やす占いはアムール川流域の先住民族などにも見られます。

白い御幣・青い御幣

榊にとりつけたものとして挙げられているものですが、御幣はぬさとよみます、。

白丹寸手・靑丹寸手(しらにぎて・あおにぎて)と書かれていて、白丹寸手とは樹脂の繊維で織った布、靑丹寸手は麻の繊維で折った布のことを指しています。

神に捧げる布であり、幣の字は神への供物のうち食物以外のものであることを表しています。

イメージ的には木に紙がついていてお祓いなどに使う神具にみえますが、貴重なものを神に捧げるという意味で、当時の最先端技術を駆使して作った貴重品とも言える織物を捧げたということは十分に納得できます。

これが後に、紙のものが現れ(紙も充分貴重品だった)紙垂(しで)となっていったと言われています。

宴が始まる

準備が整うと、アメノコヤネが祝詞(のりと)を申し上げます。

天宇受売命(アメノウズメノミコト)がヒカゲノカズラをたすきにかけてツルマサキを頭に被り笹の葉を手に持って、天岩戸の前に桶をふせてその上で踊り狂います。

アメノウズメも、後の天孫降臨の際に同伴する神の一人です。

ウズメ

ウズというのは、神事の際に頭に挿す枝葉や花という意味があって、メは女性を意味するので、おそらく巫女という意味だと言われています。

アメノウズメが乳房をかき乱し女陰をあらわに踊り狂い、その姿を見て神々がどっと笑うのですが、アメノウズメはいわば、シャーマンでその踊りは神がかり的な、呪術的な意味がありました。

芸能的に面白いものを見て笑ったというわけではなさそうです。

このシーンがよく、アマテラス男神説の、根拠の一つとしてあげられています。この話は奥が深いのでいずれまとめてみたいと思います。個人的にはアマテラスは男神だったのではなかろうか?と思っていて、古事記編纂時は女帝が支配していたことが関係しているように思っています。

笑うということにも呪術的な意味合いがあるとされています。笑うことによって、神を招き、魔を払うとされているのです。

笑う門には福来る、まさにそれです。

アマテラスは、人々の笑い声を聞き不思議に思い、私がいなくなったのになぜ皆は笑っているのか?と尋ねます。アメノウズメは貴方様以上に尊い神がいらっしゃいますから。と答えます。

尊い神、力ある神が降臨した際には、迎える側は大笑いしなくてはいけなかったのです。

力ある神は、アマテラスですから鏡を示し、アマテラスが降臨したかのような演技をしたということになります。

そして、を差し出し、ソコに写っている自分の姿を見てますます不思議に思ったところをタヂカラオがアマテラスを引き出し、フトダマが注連縄をアマテラスの後ろに引き渡します。

天之手力男神(アメノタヂカラノオノカミ)が天岩戸の入口の脇に隠れています。

アメノタヂカラオは、文字通り力の強い神だとされています。天岩戸の扉を投げ飛ばしました。そして、アマテラスの手を引いて引き出します。

それによって、世界には光が戻ってきました。

後に天孫降臨の際にも同伴しており、佐那那県(さなながた)に鎮座されるとあることから、伊勢地方の地方神だった可能性があります。

八咫鏡 はニニギの天孫降臨の際にアマテラスから命じられて三種の神器の一つになりました。

神鏡

一般的に太陽を象徴している(アマテラスは太陽神)と言われています。

鏡を神聖視するのは、中国が発祥であるとされていて卑弥呼の時代に鏡が入ってきたようです。

注連縄

尻久米縄(しりくめなわ)、端出之縄(しりくえなわ)と書かれていて、これが注連縄の起源だとされています。

現代の注連縄は神域と現世とを分け隔てるものだとされています。同時に、神域を定めたり、厄を払ったり、禍をを祓う、怨霊を御霊としてこの場所に神が宿るという意味があり、結界を表しています。

中国には人が亡くなった際、出棺が済むと家の入り口に清めの水を注いだ縄を連ねて張り死者の霊魂戻ってこないようにするという風習がありました。

朝鮮にもクムジュルという注連縄のようなものがあります。

注連縄を渡したからもう帰ることはできません。というのは、アマテラスが神であるなら自在に出入りできそうですが・・。

神道の注連縄は、本体が雲で紙垂(しで)と呼ばれるギザギザが雷を意味すると言われています。

その起源をたどると、蛇の交尾の様子を模したものだという説もあります。これは文字通り、蛇神信仰、竜神信仰と関係しそうですが、日本には縄文文化という、縄と密接な文化があったのですから注連縄のようなものを作って境界を設けることに不思議はないような気もします。