古事記

古事記4 みそぎから生まれでた神々

今回はイザナミと無事(?)離婚して中つ国にもどてきたイザナギですが、黄泉の国に行ってきたために自分が穢れてしまったと感じ、身を清めることにします。

そのみそぎの際に、多くの神々が誕生します。今回はみそぎから生まれた神々についてまとめています。

是以伊邪那伎大神詔、吾者到於伊那志許米志許米岐穢国而在邪理

故、吾者為御身之禊而、到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐原而、禊祓也

筑紫の日向の橘の小さな水門の阿波岐原へ向かいます。

筑紫というのは九州のことのようですが、日向は宮崎県であろうと言われていますが、特定はできません。

阿波岐 というのは樹木の名前です。 ですから、九州の橘と阿波岐という植物がある水辺へ行ったということになります。

その阿波岐原であるとされている場所の一つ、宮崎市の阿波岐原森林公園にはその舞台であったと言われているみそぎ池があります。近くにはイザナギを祀る江田神社があります。

別の説では、みそぎを行った場所、日向は日の向かう方向だとしてなのだと言われています。

みそぎの際に生まれた神

身につけていた物から生まれた12神

12柱

杖から

悪霊を払う神 、衝立船戸神(ツキタツフナドノカミ)

帯から

長い道中の安全を祈る御幣の神、道之長乳歯神(ミチノナガノハノカミ)

袋から

時を計る神、時量師神(トキハカシノカミ)

上着から

病から守る神、和豆良比能宇斯能神ワズライノウシノカミ

袴から

道案内の神、道俣神(チマタノカミ)

冠から

食料を心配する神、飽咋之宇斯能神(アキグイノウシノカミ)

左の腕輪から

沖の航海のための神、奥疎神(オキサカルノカミ)

沖の波を鎮める神、奥津那芸佐毘古神(オキツナギサビコノカミ)

沖の魚をとるための神、奥津甲斐弁羅神(オキツカイベラノカミ)

右の腕輪から

海岸を航行するための神、辺疎神(へサカルノカミ)

海岸をしずめる神、辺津那芸佐毘古神(へツナギサビコノカミ)

海岸の魚を捕るための神、辺津甲斐弁羅神(ヘツカイベラノカミ)

汚れから

イザナギは水面の流れが早い、水の底は流れが遅いので、水中に潜り体を洗います

ここは上流、下流と河川のような解釈もできます

体についていた黄泉の国の汚物を洗った際に生まれた神々は災の神でした。

2柱

多くの災いの神、八十禍津日神(ヤソマガツヒノカミ)

力の強い災いの神、大禍津日神(オオマガツヒノカミ)

八十とは、数が非常に多いという意味があります。

禍々しい神に関しては、この二柱が沢山の悪を生み出すものとして生まれでてきたという味方と、そうではなく後にそれらを正す神が生まれでていることから悪い事柄を正す意味を強調する立場なのだ。とする説など様々あります。

日本書紀では、盟神探湯(くかたち)という裁判のような、正邪をさばくために煮えた泥の中の小石を取り出させて手がただれるかどうかで真否を判断したとあり、その点から口伝が違う解釈で伝わったのかもしれないとする説があるようです。

瀬織津姫

本居宣長は神道の祭祀に出てくる瀬織津姫(古事記には出てきません)と同じだと述べていて、そうだとすると、祓い清めの女神ということになります。

みそぎ

みそぎによって、落ちた汚れから生まれでたということから、世の中の災いというものが、穢から出ているという考え方があったこともを示しているようです。

死=穢れ

死者を目の前にした時に、大切な人であれば愛情と同時にそれまでとは違うという忌まわしく思えるような、嫌悪にも似た感情を抱いてしまうものです。これは、当然の情緒反応です。

死だけに限らず、疫病や、出産、怪我、排泄、性交、更には人種間や、食物、動物、などいろいろな場面で穢れると考えられています。

たとえば、ユダヤ教で食べてはいけない食べ物があるのは食べると穢れてしまうからです。

イザナミは穢れていない

黄泉の国ヘ行ったイザナギは穢れましたが、イザナミは穢れていないということは、黄泉の国へ生者が赴いたことが、穢れとなったということで、タブーを犯すと穢れる ということになります。

修正する神

はらうかみ

神の穢れを祓う神、神直日神(カムナオビノカミ)大きな力を振るう穢をはらう神、大直日神(オオナオビノカミ)

神に仕える斎女、伊豆能売神(イズノメノカミ)

売という文字が付く場合は女神を表していますが、カムナオビ、オオナオビとは系統の違う神で似たような性質を持っているのではないかと言われています。

平安時代にはこの宴会や遊芸の神とされます。

なぜ、宴会や遊芸なのか

穢れは、気が枯れるという意味があるようです。悲しみや執着やマイナスの感情といった、何かの出来事によって自分の中から生み出される感情こそが自分自身を苦しめます。

そんな苦しい胸の内のイザナギが自ら生み出した神は自然と笑みが溢れるようなユーモア一杯の神様で、イザナギを本来の穏やかな心に戻していったのかもしれません。

だとしたら、なんて素敵な神様なのだろうと思うのですが、皆さんどう思われますか?

海底

海底の神、底津綿津見神(ソコツワタツミノカミ)と底筒之男神(ソコツツノオノカミ)

海中

海中の神 中津綿津見神(ナカツワタツミノカミ)と中筒之男神(ナカツツノオノミコト)

海面

海面の神、上津綿津見神(ウワツワタツミノカミ)と上筒之男神(ウワツツオノミコト)

其底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命三柱神者、墨江之三前大神也

綿津見三神・住吉三神

墨江は住吉のことです。

綿津見神は三神 で綿津見三神と呼ばれ、オリオン座の三ツ星(ベルト部分)にちなんでいるとの解釈もあります。

筒之男の三神は住吉三神と呼ばれています。同時に生まれ、対になっています。

海の神であり、祓いの神

安曇之連(あずみのむらじ)たちが祖先神としてお祭りしている神と書かれています。安曇之連というのは海辺に住んでいた有力な氏族です。

三貴子(みはしらのうずのみこ)

黄泉の国から帰って来たイザナギが、みそぎを行い最後に生まれてきたのが三貴子と呼ばれる神々です。さんきしと読むこともあります。

イザナギは私は多くの子を生んで最後に3人の尊い(貴い)子を持つことができたと喜びます。

左目から

天照大御神(アマテラスオオカミ)

右目から

月読命(ツクヨミノミコト)

鼻から

建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)

支配権を委ねる

此時伊邪那伎命 大歓喜詔 吾者生生子而 於生終得三貴子 即其御頚珠之玉緒母由良迩取由良迦志而 賜天照大御神而詔之 汝命者 所知高天原矣 事依而賜也

次詔月読命 汝命者 所知夜之食国矣 事依也

次詔建速須佐之男命 汝命者 所知海原矣 事依也。

アマテラスに首飾りを賜って、高天原の支配権を委ねます。この首飾りを謂御倉板挙之神(みくらたのかみ)と言います。

ツクヨミには、夜の国の支配を委ねます。

スサノオには海原の支配を委ねます。

みくらたのかみ の名義は、「倉」についての解釈話複数あります。

「倉」を神宝を収める所とした場合、イザナギから授かった珠を安置したことによる神名とする説

または、倉は稲倉で、この神をウカノミタマと同等の稲魂とする説

などがあります。

三貴神の性別

一般的にアマテラスは女神、ツクヨミとスサノオは男神とされていますが、明確な性別の記録は古事記にはありません。

イザナミの関わり

古事記ではイザナミは三貴神の出現に関わってはいませんが、日本書紀ではイザナギとイザナミの間に三貴神と蛭児(ヒルコ)が生まれ出たことになっています。

他の神話との共通点

アマテラスは太陽 ツクヨミは月 この両目から生まれでることは、世界の神話にも見ることができます。

三貴神が生まれいでたのも、イザナミの目と鼻でした。

この、目から生まれ出るという神話は古くはメソポタミアの神話からも見ることができます。こちらの神話では、天地は巨大な龍ティアマトという女神から作られていますが、マルドゥクとの激戦で殺害されその際に、天と地上に別れ山ができ両目からはチグリスとユーフラテスの川が出来上がります。

神話類型

体から造られたり、持ち物から作られたり、傷や滴る血などから大陸が出来上がるといった神話は世界中にあるので、人々のロマンを掻き立てます。

私達はどこから来てどこへ行くのか?世界はどの様に造られて、終焉はどうなるのか?畏怖の念すら覚えるような自然界を目の当たりにした人類が、生み出したものが神話なのでしょか。

古事記 3 黄泉の国 序文、時代背景、神産み、島産みのあらすじや、神々の名称などはこちらをご覧ください。 https://shachi.blog/ko...