古事記

古事記15 天孫降臨・瓊瓊杵尊

古事記14 天孫降臨・建御雷神 https://shachi.blog/kojiki13/ あらすじ 天照大御神は次に使わす神は誰が良いだろうかと言うと、...

あらすじ

葦原中国が平定された報告を受け天照大御神と高木神はアメノオシホミミに天下りして治めるように言います。

オシホミミは私が天降りしようと支度をしていたところ子供が生まれました。その子の名は、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)といいます。この子を遣わしましょう。

アメノオシホミミと萬幡豊秋津師比売命(ヨロヅハタトヨアキツシヒメノミコト)の間に生まれた子で、長男は天火明命(アメノホアカリノミコト)で次男がこの瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)でした。

ニニギノミコトが天降りしようと道が八方に別れている場所に来ると、高天原から葦原中国までを照らす神がいました。そこで天宇受賣命(アメノウズメノミコト)に一体誰なのか尋ねてくるよう命じます。

その神は「私は国つ神で、猿田毘古神(サルタヒコノカミ)という名で天照大御神のご子孫が天降りなさると聞き道案内をいたそうとお迎えに参りました」と言います。

アメノウズメは、天兒屋命(アメノコヤネノミコト)布刀玉命(フトタマノミコト)伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)玉祖命(タマノヤノミコト)とともに五柱の職業集団の長としてニニギノミコトのお供として降臨しました。

さらに、八尺の勾玉八尺の鏡草薙の剣、真っ暗になった際に手柄を立てた、思金神(オモイカネノカミ)手力男神(タヂカラオノカミ)天岩戸別神(アメノイワトワケノカミ)を添えて遣わせました。

ニニギノミコトは高天原の石座を離れて八重にたなびく雲を押し分け、かき分けして天の浮橋に立ち、筑紫の日向の国の高千穂の峰に天降りし、立派な神殿を造りました。

ニニギノミコトはアメノウズメに道案内したサルタヒコを送り、その神の名をお前が頂いて今後も天つ神の御子に仕える様に、と命じその一族の女は猿女君(さるめのきみ)と呼ばれました。

そのサルタヒコが阿耶訶(あざか)で漁をしていた際に、ひらぶ貝に手を挟まれて海で溺れて命を落とします。

その際に海の底に沈み底度久御魂(そこどくみたま)海の水が泡立つときに都夫多都御魂(つぶたつみたま)水面で泡が裂けたときに阿和佐久御魂(あわさくみたま)という三柱の神が生まれます。

アメノウズメがサルタヒコを送り笠沙の岬に戻ると魚たちを集め「天つ神の御子におつかえするか?」と尋ねると魚たちは「お仕えしましょう」と言いましたが、なまこだけは言わなかったためアメノウズメは小刀でなまこの口を裂いたためなまこの口は裂けることになりました。

志摩の国が朝廷に初物の魚を献上する際に、猿女君に賜るようになったのはこのような事情があるからです。

登場人物

天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命

日本書紀の記述による別名は、いづれも番能邇邇芸命が含まれています。ですから、この部分が名前の重要な核となるに違いありません。

意味

意味については諸説あり、邇邇芸は「庭と睨」と解釈して天から地を睥睨(へいげい)するという意味で、天降りの際に周囲を睨むように見回したとする説や、瓊を「握(ニギ)」だとして勾玉を握った者とする説、邇邇芸は「賑わう」だとする説などがあります。

天津日高の文字が、ニニギノミコトの子と孫にも冠されていて、天照大御神からの正統な御子であることの地位を示す美称です。

下の図のようにアマテラスとスサノオのうけいの際、スサノオが自分の剣から美しい女の子が生まれたのだから、自分は潔白であり、これが自分の子であると述べたことで、アメノオシホミミはアマテラスの子ということになり、その子のニニギノミコトはアマテラスの孫に当たり、天孫降臨と呼ばれています。

降臨

日本書紀では真床追衾(まとこおうふすま)で覆い地上に降ろした。と書かれていて、天津神の直系の新生児として誕生することを示したとも考えられます。真床は床に敷くという意味があり、追衾は覆う寝具という意味です。

お供した神々

天兒屋命(アメノコヤネノミコト) 天岩戸伝承の際に祝詞を奉上

布刀玉命(フトタマノミコト) 天岩戸伝承の際に鏡を掲げた

天宇受賣命(アメノウズメノミコト)天岩戸伝承の際に踊りを踊った

伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)天岩戸伝承の際に八咫鏡を作った

玉祖命(タマノヤノミコト)天岩戸伝承の際に八尺瓊勾玉を作った

三種の神器

八尺の勾玉八尺の鏡草薙の剣

三種の神器のため同行した神々

思金神(オモイカネノカミ)天岩戸伝承の際にアイデアを助言した

手力男神(タヂカラオノカミ)天岩戸伝承の際に岩戸を蹴散らして救出した

天岩戸別神(アメノイワトワケノカミ)天岩戸伝承の際の門番

猿田毘古神

猿田毘古神(サルタヒコノカミ)は古事記では容姿に関する詳細はありませんが、日本書紀の中でその特異さが描かれています。

鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いている

咫が、親指と人差指を広げた長さのことで約18cmだそうですから、単純に計算すると七咫は126cmほどとなります。

一尺が約30.3cmだそうですので身長が212cm、赤酸醤はホオズキのことです。

文字通り身長が二メートル程で鼻の長さが120cmだとしたらいくらなんでも鼻が長過ぎるような気もしますが・・・ともかく鼻が長くて、背が高くて、真っ赤に光っているという異型(?)の神として描かれています。

葦原中津国に現れた神々の一人、国つ神であると名乗っています。

古事記に登場する他の神々について、容姿に関する詳細な記述は殆どありませんが、サルタヒコノカミはしっかりと数字を上げて具体的に描かれています。

沖縄宮古島の祖先祭(うがんさい)では、老婆が先頭を歩き、赤い頭巾をかぶり神々の道案内をシます。そしてその神の名はサダルです。

そこから想像する容姿から、「天狗」「土着の太陽神」「外の国からきた人」等様々な説があり、ミステリアスで読む人を惹きつける神だということは間違いありません。

アメノウズメと出会う

異様な容姿で佇むサルタヒコノカミのもとへ、アメノウズメが何者なのかを確かめに行きます。アメノウズメといえば、天照大御神が天岩戸に隠れた際に、踊りを踊った神です。

日本書紀の記述では、サルタヒコノカミと対峙する場面では乳房をあらわに裳の紐を臍の下まで押したれて、あざ笑いながら向かっていきます。古事記ではこのような性的な描写はありません。

後に、猿女君となったと書かれていて、これはおそらくサルタヒコノカミの妻になったという意味だと理解されています。

古代において、呪術的なことと性的なことは密接に関係しています。

巫女であるアメノウズメが女陰をさらけ出すことで敵であるサルタヒコの戦意を喪失させた事が書かれています。

一方、サルタヒコノカミは分かれ道に立っていたということは、その地域に魔物や邪が入るのを阻止する男神であったと考えられます。

だとすると、この出会いは地の神が天女と交合したと考えられるのではないでしょうか。

サルタヒコノカミはもともと伊勢の土着の太陽神だったとする説もあり、だとすると違った価値観が融合したと官hが得ることもできるでしょう。

猿女君と稗田阿礼

猿女氏はアメノウズメを始祖とし、「戯(さ)る女」という意味だと言われています。

ふざけ、たわむれる等の意味で、それはメス猿が群れの上位のものに対しても毛づくろいすることが「戯る」、で猿の語源だと言われていてそのことに由来します。

また、それらしく演じるとか、振る舞うという意味の「然(さ)る」という一面もあります。

神楽の舞などの奉仕をする女官です。猿女君とニニギノミコトによって命名される様になったエピソードとして、サルタヒコノカミとの出会いが語られています。

大分県豊後大野市の御嶽神楽の演目ではサルタヒコとアメノウズメのやり取りが演じられます。以下のようなやり取りがあります。

【アメノウズメ】いったいどうやって真偽を判断したらよいのやら

【アメノウズメ】このような(荒れた)世の中を、神の世に変えて行こうとしている時に、世にも恐ろしい顔立ちでお供を申し出た人、全くこの世界の人の姿ではありません。東国の人ならば顔色が青く、南国の人なら赤く、西国の人なら白く、北国の人なら黒く、アジアの人なら黄色いはず。
五色人とは思えないので、この手に持った御笏(みてぐら)で、境界の外まで追い払ってしまいましょう。

【サルタヒコ】聞けよ、聞け、よく聞け。天の言い伝えにもあるではないか。
大海に船を浮かべ、小川という小川に橋をかけ、士農工商の職業を家ごとに定め、それ天地がまだ開かずに混沌としているとき、九億十万八千丈の内から出てきた「猿田彦の明神」とは私のことである。
だから天孫降臨に際して「導き」を行うため、禊(みそぎ)を祓って、不浄を除いてきた。もしも大切なときに極悪の神敵が現われるならば、その体中を斬って、斬って、斬り鎮めるためである。
つまり国を踏み開くことが(私の)目的なので、よくよく聞き給へ。

【サルタヒコ】東方、東方、わが東方。六万里にも十二漕の舟をそろえ、それに青金を積んで、持っている剣を櫓棹にして、東方六万里にも漕いで行き、漕ぎ返して、東方の段の柱とした。
同じく、南方は赤金、西方は白金、北方は黒金を、それぞれ段の柱とした。
このように東西南北、道を踏み開いた私こそ「ふなどの神」、またの名を「道祖神」とも言うのである。

猿女君の氏族が代々朝廷の祭祀に携わり、神事における演舞などを執り行ってきましたが、本拠地である伊勢から一部が大和国添上郡稗田村に移住したことで、稗田氏を名乗ったと言われています。

平安朝の弘仁私記には、稗田阿礼がアメノウズメの後裔であると書かれています。稗田阿礼が実在した確かな証拠はありませんが、アメノウズメの末裔だとしたら、神殿でつかえる重要な存在だったことでしょう。古事記の序文に編纂に携わった年齢は28歳の舍人と書かれています。

皇族に仕える下級の役人は大抵の場合、男性が従事していたようです。しかし、阿礼と言う名が女性のような名であること、アメノウズメの末裔と書かれていることなどから女性だったと考える人も居ます。

サルタヒコが三柱の神を生み出す

サルタヒコノカミは伊勢の阿邪訶の海で漁をしていた際に、比良夫貝に手を挟まれて溺れてしまいますが、その際に3柱の神が誕生します。

その際に死んでしまったとは書かれておらず、真相はわかりません。

文字通りに解釈するなら、大きな貝に手を挟まれて海に引きずりこまれたことになります。比良夫貝とは貝の化け物を指す言葉で、一説では毛が生えた貝とのことです。

人を引きずりこむほどの大きな貝として、オオシャコガイを思い出します。巨大なものだと貝の長さが2メートルほどに成長するものもあるようですから大きな体のサルタヒコノカミを溺れさせる事もできたのかもしれません。

沖縄では、シャコガイをアジケーと呼びその殻には特別な呪力があると考えられて魔除けになるとされています。

とはいえ、おそらく貝の一件は何かを例えた、比喩的な表現と考えるのが自然です。

猿は牡蠣を好み、引き潮になって海岸で牡蠣が殻を開いたところに小石を打ち込み食べるようです。その際に手を挟まれて大騒ぎすることもあるそうです。

ちなみに沖縄には猿はいません。

サルタヒコノカミを送り届けた後、アメノウズメは伊勢湾にて神の御子に仕えるかどうかの問に答えなかったなまこの口を切り裂いています。このなまこがサルタヒコノカミであり、アメノウズメが殺害したのだと解釈する人も居ます。

だとしたら、道案内をさせられたと考えるとしっくり来ます。アメノウズメと結婚したことは和合を意味していて、サルタヒコノカミの存在は抹殺しなくてはいけなかったことはニニギとサルタヒコが逆方向へ進んだことから、死という汚れを避けたかったとも受け取ることが出来ます。

とはいえ、道案内をしたサルタヒコへの鎮魂の意味を込めての表現だったと考えられます。