あらすじ
八千矛神(ヤチホコノカミ)は越の国の(こしのくに)の沼河比売(ヌナカワヒメ)に求婚するためにヌナカワヒメの家の戸口へ出向きます。
ヌナカワヒメの家の外から求婚の歌(①)を読み、ヌナカワヒメはその歌に応じて歌(②)を返し翌日の夜、結ばれます。
ヤチホコノカミの正妻は須勢理毘売(スセリビメ)で、スセリビメは嫉妬深く夫のヤチホコノカミは心を痛め歌(③)を読みます。それに答えてスセリビメも歌(④)を読み二人は今日に至るまで出雲で仲良く暮らしているのです。この四首の歌は神語(かむがたり)の歌です。
大国主と宗像の奥津宮にいる、多紀理比売(タキリビメ)との間に阿遅鉏高日子根神(アジスキタカヒコネノカミ)妹の高比売命(タカヒメノミコト)またの名を下光比売命(シタテルヒメノミコト)が産まれます。
アジツキタカヒコネは鴨大御神(カモノオオミカミ)と呼ばれています。
さらに、オオクニヌシと神屋楯比売命(カムヤタテヒメノミコト)の間に事代主神(コトシロヌシノカミ)が生まれます。
更にオオクニヌシと八島牟遅能神(ヤシマムジノカミ)の娘の鳥取神(トトリノカミ)の間に鳥鳴海神(トリナルミ ノカミ)が産まれ、トリナルミノカミには国忍富神(クニオシトミノカミ)があり、以下七代のちの遠津山岬多良斯神(トオツヤマサキタラシノカミ)に至るまで系譜が続きます。
系図

イザ ナギの禊から産まれたスサノオ、スサノオの娘であるスセリビメはスサノオと一緒に暮らしていたところへ、オオクニヌシが現れて、スサノオからの挑戦に対してスセリビメは自らの呪具をオオクニヌシに渡し窮地を救い、二人は結婚しました。
スサノオからは葦原中国の支配権を与えられ、オオクニヌシという名前をもらい、スセリビメとの結婚を許可されたオオクニヌシでした。
オオクニヌシは上図のようにイザナギとクシナダヒメから七代目に当たるので、普通に考えるとスサノオの娘と世代が合いません。

八千矛神
ヤチホコノカミはオオクニヌシノミコトのあだ名のようなもので、八千には数がとても多いという意味があります。
矛とは、両刃の突き刺すための長い武具を現していますから、猛々しい武力と武器を持った戦の神と考えることができます。
また、矛には男性器という意味合いもあります。たしかに、オオクニヌシは多くの妻得て多くの子供を生み出しています。
スセリビメと出会う前も、ヤガミヒメと一夜を過ごしていました。
矛が男性器を象徴的に現している説は、筆者は信憑性が高いと思っています。バビロン的な慣習、聖木崇拝と関係があるのではないかと思っているからです。

だとしたら古事記の創世神話で天の沼矛を海に突き立てることも、性行為を象徴的に現しているのかもしれません。
越の国
高志国 新潟県だと言われています。ヤマタノオロチがいた場所です。
沼河比売
ヌナカワヒメ が高志国の沼川に住む美しい女性で、古事記の記述でオオクニヌシが会いに(夜這い)来たことと、歌を返し翌日結ばれたことだけが書かれています。
新潟に伝わる伝承では、二人の間に生まれた子が建御名方神(タケミナカタノカミ)で、長野県 諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったと伝えられています。
『先代旧事本紀』でもタケミナカタはヌナカワヒメの子となっています。
四首の問答歌
①オオクニヌシの読んだ歌
ヤチホコノカミは八島(日本)で好ましい妻を得ることができませんでした。遠い遠い越の国賢くて美しい女性がいると聞いて結婚しようとやってきました。
太刀の緒も解かず、上着も脱がず乙女の寝ている家の戸を揺さぶっています。
あたりでは鵺(ぬえ)のこえがしてキジが鳴き、庭では鶏が暁を告げました。あぁ腹が立つ。鳥どもめ、殺して鳴きやめさせようか。
これは天の馳使いである鳥が言ったことです。
鵺の声を聞いたことがあるでしょうか。鵺とはトラツグミのことで深夜の森の中に響く不気味な『ヒョウヒョウ』というさみしげな鳴き声が特徴です。
ヤチホコノカミは夜這いにやってきましたが、当時の慣習はそれが普通のことのようでそのようにして関係を深めて結婚することが普通だったようです。
②ヌナカワヒメの返した歌
ヌナカワヒメは戸を開けずに、入り江の洲にいる水鳥に例えて『今は私の鳥ですが、いずれあなたのものになります』と、歌を返します。
③オオクニヌシがスセリビメに対して読んだ歌
黒い着物を着て見て、水鳥みたいにそでをパタパタさせてみたけれどどうもしっくり来なくて脱ぎ捨てました。
つぎにカワセミみたいな青い着物をきて水鳥みたいに袖をパタパタさせてみたけれど、これもなんだか似合わなかったのです。
最後に茜の汁で染めた赤い着物を来て、またパタパタしてみたら、これはなかなか似合うと思ったんだ。

私の可愛い妻よ、私がこうして水鳥のように飛び立っていけば、一本のすすきみたいに君はうなだれて泣くんだよね?
その吐息は 霧となり立ち込めて私は行き先を見失いそうになる。
若草の我妻よ。
オオクニヌシはまたどこかの美女に会いに出かけるために、着ていくものを選んでいます。最後に赤い服を身に着けつつも、妻の寂しそうな姿に愛おしさを感じたのでしょうか?
それとも嫉妬深い妻をなだめるためだったのか、上記の様な意味合いの歌を読みます。
④スセリビメが返した歌
ヤチホコノカミノミコト、オオクニヌシ あなたは男ですから、あちらこちらに若草のような妻をお持ちです。
私は女なので、あなた以外に男はいません。あなた以外の夫はいないのです。
そして、スセリビメから杯を受け取り二人は固めの杯を交わし、夫婦としての絆を強め今日に至ります。
その後
オオクニヌシは宗像三女神の一人、タキリビメと結ばれています。
こちらもご覧ください。

このタキリビメはスサノオの剣を天照が噛み砕いて、その息吹から産まれた美人三姉妹の一人です。
さらに、カムヤタテヒメと結ばれます。古事記ではカムヤタテヒメについてそれ以上に記述はありません。二人の間にはコトシロヌシが生まれます。
先代旧時本記では、高津姫という名前で宗像の辺津宮に座すカミとされており、タキツヒメのことだとされています。だとしたら彼女も三女神の一人であり、スサノオの娘だということになります。
さらに、トトリという神の名前が登場します。トトリは古事記にしか登場しませんが、八島ムジノカミの娘と書かれていて、ヤシマムジノカミも名前しか出てきません。
しかし、スサノオとクシナダヒメの間にヤシマジヌノカミというよく似た名前の神がいますから、これまでの経緯ですべてスサノオの血統であることからもしかすると関係があるのかもしれません。
考察
オオクニヌシの着替え
オオクニヌシは女性のところへまさに出かけようとして、最初は黒い服、次に青い服を着て最後に茜で染めた服を着たようです。茜に関してはによって様々で、藍で染めたという訳もあるようです。
原文ではあたたねと読む言葉が当てられていて、その植物が何なのかは確定できません。
紅花のことかもしれません。現代の感覚でいうと藍と紅花では全く違う色に思えますが、古代の人の色という概念は今と違い明暗で判断するのかもしれません。
そして、染めた服というのは、現代のような染ではなく、草木の花や葉をすりつぶし、直接布に擦り付けるものだったようです。
夫婦のやり取り
この夫婦のやり取りは、ヤキモチ焼きの若い妻とイケメンチャラ男の夫がイチャイチャして、ちょっとアルコールを頂いていい気分になって・・というような場面のようにも見えますが、
スセリヒメはオオクニヌシの前に酒杯を持ってやってきます。これは今で言う固めの杯にも見えます。夫婦の関係を強固なものにするための儀式を抒情的に描いたのかもしれません。
八千矛である理由
巫女である女性と性的な関係を結ぶことが、『神聖』で『神に仕えること』であれば、多くの女性と関係を持ちその名をヤチホコと呼ばれたことも頷けます。
さあに、スセリビメのスセリは進むの『スス』荒ぶるという意味の『すさ』と同じ意味であるとされていて、スセリビメは嫉妬深い巫女だとされています。(スサノオの娘ですから納得です)オオクニヌシの最初のお相手、ヤカミヒメはスセリヒメを恐れて子供を木の俣に置いて因幡へ帰ってしまったほどでした。
嫉妬深いと言うと、現代の私達はあまり良いイメージはないのですが、度重なる嫉妬により、正妻と夫の絆が強まって言ったことは間違えありません。
スセリには 高ぶって性行為に望む巫女という意味合いもあるそうです。
巫女の『巫』の本来の意味は『シャーマン』ですから、トランス状態に陥ることと性的な行動が結びついていた事を示していると思われます。
バビロン的(バアル崇拝)な慣習がイザナギの時代から古事記の中に見られるような気がするのですが、皆さんはどう思われますか?とはいっても、神事だとするなら、それに関して嫉妬するのも妙な話ですが、正妻に子供がなかなかできずに、多くの女性達との間に子供が産まれた旧約聖書中のヤコブとラケルのエピソードに似ているような気もしますし、オオクニヌシの因幡の素兎のエピソードでは兄弟たちにいじめられるヨセフのエピソードにも似ています。