古事記

古事記 1

古事記には原本が現存していません。古事記を知るためには現存するいくつかの写本からの、現代語訳を読むのが一般的です。

そもそも、当時あった歴史書は天皇家の系譜を記した『帝紀』朝廷の伝承を記した『旧辞』というものがありました。

しかし、内容は事実と違うことも含まれていたとのことで、それらの虚偽を訂正し、天皇家の支配の正当性を裏付ける目的で天武天皇(40代)の発案で、711年9月元明天皇(43代)が太安萬侶に古事記の編纂を命じました。

日本の元号で言えば和銅4年のことで翌年の和銅5年には古事記として天皇へ献上されています。

時代で言えば、書かれたのは奈良時代です。天地開闢(てんちかいびゃく)から始まり、推古天皇に至るまででが描かれています。

太安万侶

現代の私達がその編纂された古事記を読もうと思ったとしても、前編漢字だけで書かれ、訓点もまったくなく、一時一音表記でありながら、一部神の名称などは中国の文書の記入方法が使われていたりして、編纂した太安萬侶(おおのやすまろ)が、意図した通りの発音で読むことは難しいようです。

古事記というタイトルについても、後の人が付したものとする説もあり、誰もしるすべがありません。

また、稗田 阿礼(ひえだのあれ)と言う編纂者の一人の存在の確証ができないこと、編纂当初はごく一部の人しか見ることのできないトップシークレット扱いだったこと、後に編纂されたはずの日本書紀よりも新しい神話の内容が含まれていたりすることから、偽書説だとする学者も多く存在しています。

最初に編纂を命じられた太安萬侶は実在した人物で、昭和54年(1979年)に奈良市比瀬町で本人の墓が発見されています。

いずれにせよ、加筆されつづけたことは間違いなさそうですし、編纂意図があったことは否めません。

なにはともあれ、書物としてとても面白く不思議で魅力的な古事記

世界中にファンが居て、多くの人が研究しています。このサイトでは、独自の見解はあまりまじえずに、一般的な解釈と古事記を呼んだことがない人にも大まかな内容がわかるように少しづつまとめていきたいと思っています。

上巻(かみつまき)

古事記は全体で3巻からなっていて、上巻(かみつまき)、中巻(なかつまき)、下巻(しもつまき)の3つに分かれています。

上巻は序文と神話からなっています。序文に関してはあとから付け加えられたとして、翻訳には含めていない場合も多くあります。

上巻の構成は簡単に箇条書すると以下の様になっています。

●序文 神話

第一段

第二段

第三段

天地の始まり

天地開闢

伊邪那岐尊と伊耶那美命

国産み物語

神産み物語

黄泉の国

禊の神々の

●天照大御神と素戔鳴命

素戔嗚命の神やらひ

天照大御神と素戔嗚命の約束

天岩戸のエピソード

五穀の起源

ヤマタノオロチの討伐

●大国主命

因幡の素兎

八十神による迫害

根の国への訪問

妻問

●葦原中国

天菩比神と天若日子
阿遅志貴高彦根神
建御雷神と事代主神
大国主神の国譲り

●天孫降臨

邇邇芸命

猿田毘古神と天宇受売命

木花之佐久夜毘売

●火遠理命

海幸彦、山幸彦

海神宮

火照命の服従

鵜葺草葺不合命

序文

古伝承とその意義、天武天皇と古事記の企画、太安万侶の『古事記』撰録について簡潔に書かれています。

天武天皇が、舎人(とねり)の稗田阿礼に命じて
誦み習わせた帝紀(ていき)と旧辞(きゅうじ)を、
天武天皇の没後に、元明天皇(げんめいてんのう)の命令
太安万侶が撰録(せんろく)

先に述べたとおり、帝紀と言う天皇の系譜と旧辞という各氏族の口伝をまとめると書かれています。

時代背景

710年に藤原京(奈良県橿原市)から平城京へうつされます。

元明天皇(女帝)が律令制に基づく政治を行う中心地として、当時最も栄えていた中国の長安という都市を手本に大規模な都を造りました。

整然と整理された都市には10万人以上が暮らしていました。

序文の内容

序文はあとから付け加えられたものだとする説もあります。

臣下の安麻呂が申し上げます。宇宙の始まりは混沌としていて次第に固まり始めました。自然界の(宇宙)大気は形がなく名前もなくなにも起きていませんでした。

初めて世界が天と地に別れ、参神(三柱の神)が万物の創造主となりました。

陰陽の2つに別れ(男女)、2体の霊が世界の祖先になりました。

幽冥(かくりょ・死者の世界・神域)から顕世(うつしよ・人間界)に出て、目を洗うと日(ひるめ)、月(つくよみ)があらわれ、海で体を洗うと神(天の神・あまつかみ)国津神(地の神)が現れました。

故に起源ははるかむかし、伝承によって大地ができ島ができたことを知りました。

古の聖なる方により神を生み人が現れたこの世が明らかになりました。

鏡を掲げ珠を吐き数多くの大王(おおきみ・天皇)が代々相続し、剣を飲見込んだ大蛇を切り、万の神々が現れました。

安川(やすのかわ・高天原の川)の河原で開かれた会議で葦原中国(あしはらのなかつくに・日本列島)を平定するために小浜(おばま・稲佐の浜・島根県出雲市大社町にある砂浜)で話し合われ国土が平定されました。

そのあと、番仁岐命(ホノニニギノミコト)が高千穂峰の峰におりました。

そして、神倭天皇(初代神武天皇)は秋津島(本州)をめぐりました。

熊の化身が爪を出したが、高倉で天の剣を得て熊を抑え、生尾(吉野の先住民・井氷鹿)に道を遮られるが、大烏(八咫烏)が導いて吉野の土地まで来た。盛大な酒盛りを開いて敵を誘って打ち取りました。

と、まずは全体の要約から始まり、続いて歴代天皇が大和の国で統治したことや、その徳となるような事柄を述べて、40代天皇の天武天皇の壬申の乱について書かれています。

御子(天皇の子)は潜竜(龍になる前)を体感しついに水が居たり雷鳴がとどろき重大な使命を受けるべきだと告げられました。

天の時(天皇即位の時)は未だ至らず、南の山(吉野山)におられましたが、前天智天皇の崩御により脱皮してセミとなる様に天子(天皇)となられました。

人々が集まり戦の準備ができあがり東国(不破の関)へとトラのような大群が進みました。

漢字表記

当時はまだ、ひらかなが使われていませんでした。漢字という外国語を取り入れて、いわば当て字のようにして書き上げたものが古事記です。

序文のなかには編纂の経緯に関する説明もあって、たまたまいた稗田阿礼がいて、一通り目を通すだけで難読文字すら難なく理解し、音も訓も瞬時に判断し話し言葉にできる優秀な人物がいたので、阿礼に資料を読み内容をしっかり把握しておくようにと命令します。

さらに、天皇継承などは非常に複雑な経緯が多く編纂は大変困難だったことが述べられ、細部まで記録しようと努めたものの、資料(天皇家の系譜を記した『帝紀』朝廷の伝承を記した『旧辞』)には編纂当時でさえ、使われなくなった言葉が使われていたり、文章化が難しく、太安萬侶一定の規則を持って書いたことを説明しています。

最後に上巻、中巻、下巻の時代区分を述べています。

壬申の乱

天智天皇崩御の後の皇位をめぐる大海人皇子(おおあまのおうじ天智天皇の同母による弟)と大友皇子の争い。

天智天皇の崩御のあと、弘文天皇として大友皇子が即位、壬申の乱によって大海人皇子が天武天皇として即位(第40代)し、天智天皇の基本政策を受け継いだ

大海人皇子即位が重要なわけ

壬申の乱は日本史上初めての武力によって政権をとった初めての出来事によって、これまでの政治的な権力は大きく変化しました。

武力で政権をとったということは、地位を守るためには武力にまさる特別な存在として君臨する必要があります。

天武天皇の時代から、大きな改革が始まります。古事記、日本書紀、飛鳥浄御原令と呼ばれる飛鳥時代に制定された法典(刑法はなかった)の作成が立案されたり、作られたりします。

国府ができ、その下に郡ができ今で言う市町村のようなものや、行政を行う役所がつくられ、貨幣もつくられます。

天武天皇なきあとには皇后である持統天皇が遺志を継ぎ、時代は急速に国造りを進めていきます。そんな時代の転換点に古事記が書かれました。

つづく