イザヤの出生と死
イザヤは聖書の筆者として自分の名前の書を記しています。ヘブライ語聖書(旧約聖書)の23番目の書それがイザヤ書です。
このイザヤの出生に関する記録は聖書中にはなく、『アモツの子イザヤ』とだけかかれていて、このアモツという人物に関しても詳しい記述がありません。イザヤが登場したのは、南のユダ王国でした。
イザヤの死に関する記述もありませんが、一節ではマナセ王の命令により、のこぎりで切り刻まれるという残忍な方法で処刑されたと言われています。
イザヤという名前の意味
イザヤはヘブライ語でヤハウェの救いという意味となります。
預言者(神託を伝える人/祭司)であり王に仕え、宮廷への出入りも自在で身分が高く影響力もありました。
アモツの子イザヤ
この父アモツは実は預言者アモスだったのではないか?という説があります。しかし、アモスはウジヤの治世初期の預言者で、アウグスティヌスの著書『神の国』では、アモスの活動後10年ほど後にイザヤが神託を受けたのではないか?とされています。
そのように考察すると、アモスがイザヤの父と考えられなくもないのですが、アモス書は、おもに北ユダ王国に対して語られており、イスラエルの王ヤラべアム2世とユダ王国ウジヤの治世中に伝えられたことをまとめているので、西暦前804年には書き留められたはず。
イザヤが神の声を伝える預言者として王に仕えてきたのは、下図の⑩〜⑭の時代でその間に北のイスラエルは崩壊してしまいます。
そして、南側のユダ王国も北のイスラエルのように滅びの日がやって来ることを警告しました。
ですから、同一人物と考えることは無理があると筆者は思っています。
が・・・しかし、実はこれは予言の書ではなく、置きたことを後に編纂したのではないかという聖書学者たちもいます。
イザヤ書は予言の書なのか イザヤは実在したのか
イザヤ書は3大予言書の一つだといわれていますが、実は予言ではなく成就した後に書かれたもので、口伝として伝わってきた物を後に編纂したものなのではないか?!と言う説もあるのです。
イザヤ複数人説
イザヤ40章以降のバビロンに関する描写では文体がガラッと変わっている点、バビロンが強国でありイスラエル人が捕囚されているように描かれている点が根拠としてあげられます。
イザヤ1章から39章までは下の図の色分けした部分、ウジヤからヒゼキヤの時代のことを扱っていますが、それ以降は第2イザヤ書とも呼ばれていて、更に56章から66章は第3イザヤ書と分類されることもあります。これは18世紀になって提案された説で筆者は信用性は疑わしく思っています。
第一イザヤ書 | 1章から39章 |
第二イザヤ書 | 40章から55章 |
第三イザヤ書 | 56章から66章 |
そして、上記を根拠にイザヤは3人あるいはそれ以上(複数)いたという説があります。
イザヤ書の中に似ている部分があることや、口伝で伝わったものが後に編纂されたのだする考え方です。
しかし、聖書自体は写字生達によって、写し書きで伝えられていったことは聖書の中で語られています。バビロン捕囚後には写字生達の階級があって、死海写本との比較でもその正確性が証明されています。
また、イザヤ書の中で神を表す言葉として、他の書では殆ど出てこない『イスラエルの聖なる方』と 表現していることや、シオンという語句が繰り返し使われていることなど、個体性と言える特徴があるのです。結論として、筆者はイザヤ書の区分及び複数説は事実ではないと思っています。
しかし、同時に超自然的なこと、つまり予言ということにも疑いを持っています。
イザヤ書
予言の書
聖書の3大予言書と言われているのはエレミヤ書、エゼキエル書、そしてイザヤ書です。
そして、聖書の4大預言者といえば、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル、そして、イザヤです。
66章からなっており、冒頭の言葉は、アモツの子イザヤがユダとエルサレムに関して見た幻と書かれています。文字通りユダとエルサレムに関する敵の侵略の脅威と救済の予言と、メシア到来の予言が書かれています。
時代背景
当時のイスラエルはソロモン王のあと、南北に分裂しました。
さらにはアッシリアの侵攻が激しく、北側はバアル崇拝に染まり、南のユダの王国も不安定な状態でした。
予言を開始したのは、アハズ王の時代(下図南王国⑤)です。それ以前に北側では子牛崇拝が行われており、イゼベルというシドンの王の娘を通してバアル崇拝が入ってきます。
アハズはバアルの神殿を建て、祭壇と聖木を造ったと書かれています。
イゼベルの父、シドンの王エトバアルは娘をアハブに嫁がせることでアハブとの政治同盟を結びました。
エトバアルは女神アシュトレテの祭司、イトバルスだと言われています。
バアルは、豊穣多産の神と信じられており、多神教の一つの神です。その崇拝行為は官能主義に根ざし神殿における儀式としての売春(男娼、娼婦)、人身御供、恍惚状態での自傷行為などが行われていました。
性欲を掻き立てるような官能的な祭儀が行われます。饗宴が開かれごちそうとぶどう酒、聖木(男性器を模した柱)の周りを娼婦たちが官能的に踊り、音楽が鳴り響き最高潮に達すると、淫行が繰り広げられます。
アシュトレテはバアルの妻とされていて、女性性を強調したいわば、豊穣の女神、大地母神です。バアルは稲妻で表現されることが多くあります。
更にその娘アタルヤ(下図南王国⑦)は巧妙に殺人を犯し王座を奪いました。
しかし、正統な相続者(ダビデの家系)であるヨアシュ(下図⑧)(エホアシュ)は神殿の一室に6年間かくまわれて成長します。そして、7歳になったときに、女王アタルヤは処刑されました。
南のユダ王国は立法を重視した人達と解釈されています。同時に、ダビデの血統を重要なものと考えていたことがわかります。
この血統がのちにイエス・キリストへと繋がっていきます。

南王国と北王国の変遷は以下のようになっており非常に不安定でまさしく激動の時代でした。

イザヤ書で扱われている期間はウジヤ王の時代からヒゼキヤ王の時代です。
イザヤは南ユダ王国の腐敗を糾弾し、バビロンヘ流刑にされることを警告しました。しかし同時に、メシアの到来という将来の希望をも予言しています。


南北王朝の王たち
先に述べたとおりイザヤが活躍した時代はまさしく激動の時代でした。
イザヤは南ユダ王国ウジヤ王(上図南王国⑩)の事績の書を記し、それは国の公式記録になっていたようで、王の相談役として宗教と政治の両面に大きな影響を及ぼす存在だったことがわかります。
ウジヤのその他の業績は、最初から最後まで、アモツの子預言者イザヤが書きしるした 歴代第2 26:22
ウジヤはまたの名をアザリヤといい、16歳で即位し50年以上統治しました。
紀元前714年には、アッシリア軍が南王朝に侵攻しエルサレムは完全に包囲されてしまいます。南王朝のヒゼキア王(上図南王国⑬)は、ソロモンの神殿から金銀を剥がしかき集めて侵略軍に献上することでその場は和解に至ります。
しかし、次にもしも侵攻があった場合、残る物は契約の箱以外に金がありません。
イザヤは契約の箱だけは守り通さねばならないとヒゼキア王に警告します。ところが、ヒゼキヤはバビロンからの使者に自分のすべての富を見せてしまいます。
何故そんなおろこなことをしたのか?権力を誇示したかったのか、聖書に記載はありませんが、その事をきっかけにイザヤは神からの言葉として、全てのものがバビロンに持っていかれる日が来ると告げます。
ヒゼキアの死後、息子のマナセが王になります。マナセは父ヒゼキヤが破壊したバアルの祭壇を再び建てて、聖木を作ります。ヤハウェを崇拝する神殿の中庭にバアルの祭壇を作り、聖木を建て、自分の子を犠牲として捧げたり、魔術や心霊術をおこないました。
マナセは誰よりも邪悪な王だったと書かれており、一節ではイザヤをのこぎりで刻んで殺したとも言われています。
そんな、邪悪な王ですがバビロン捕囚のあと釈放され、大いに悔い改めたと書かれています。
というわけで、この後イザヤはどうなったのか?!聖書中に記載はありません。ユダヤのラビの文書のなかで、マナセの命令でのこぎりで切り裂かれたと書かれているだけです。
ギリシャ語聖書(新約聖書)の中で、のこぎりで切り裂かれた人がいると書かれてるだけでそれがイザヤだとは書かれていません。
イザヤの家族
イザヤは結婚し子供がいたことが書かれています。妻は女預言者で、その女預言者との間に子供が産まれ、少なくともシェアル・ヤシュブ(イザヤ7:3)とマヘル・シャラル・ハズ・バズ(イザヤ8:1)のふたりの子供がいました。
女預言者
聖書の中で預言者と書かれている場合、神からの音信を語る人という意味があって、シャーマン的に神の言葉を聞く場合には薬物と関係のある語句が使われています。
シャーマン的な心霊術を行って霊と交信することを神の律法は禁じているので、おそらくイザヤの妻の女預言者は
一番はじめに女預言者と書かれている人物はモーセの姉ミリアムで、神の意志を伝える媒介者でした。
シェアル・ヤシュブ
シェアル・ヤシュブには残りのものが帰る(生き残ったものが立ち返る)という意味があります。バビロン捕囚から残りのものが帰る事を予告していたのかもしれません。
上図のユダ⑫アハズの時代に北のイスラエルのペカハが侵攻してきた際に、イザヤは神からアハズのところへ、シェアル・ヤシュブを連れて神の考えを伝える様に命じられ、彼を伴って王のもとへ出向きます。
ペカハがせめて来た理由は、アハズを王座から引きずり下ろしてダビデの血統以外のダブエルの子(としか書かれていません)を王座につけようとしたためです。
マヘル・シャラル・ハズ・バズ
マヘル・シャラル・ハズ・バズには彼は急いで強奪物のところに来た(速やかな略奪)という意味があります。
この名前にするように告げられ、マヘル・シャハル・ハズ・バズが話せるようになる前に、アッシリアがサマリアを隷属させることを告げられます。
実際に、ペカハの治世中にアッシリアが侵攻しサマリアを征服されペカは内乱によって殺されました。
契約の箱
イザヤがどの様に亡くなったのか、謎に包まれていますが同じ様に、この2つの王国南のユダ、北のイスラエルはバビロン捕囚50年後に神殿の再建を果たしますがソロモンの神殿に確かにあった契約の箱もその行方がわかりません。
聖書中にある最期の契約の箱の記述は上の図の南⑯ヨシヤが契約の箱を神殿に戻した記述があります。(歴代Ⅱ35:3)
そして、その後のバビロニア人によるエルサレム征服の際に奪い取られたもののリストには契約の箱の記載はありませんから、その間にどこかにもちさられたか、隠されたかその所在は現在も不明のままです。
その契約の箱との関係は定かではありませんが、イザヤ書6章は、イザヤが見た幻の描写がエルサレム神殿に収められた契約の箱に関する表現を用いており、イザヤ書8:16節では
証を一つにまとめ、教えを我が弟子達のうちに封じておく と書かれています。
文章の流れとしては、マヘル・シャハル・ハズ・バズの名前の象徴通りに北イスラエルの首都サマリアが占領下に置かれることが述べられ、国家が崩壊しそうであっても唯一の神に従い信仰するなら神は共にいるという流れです。
しかし、多くの民衆はその言葉を拒絶しますから、救いがないことはすでに理解できています。
そして、この証という言葉を意味するヘブライ語はモーセの十戒の石版にに関する記述でも用いられていて、証の箱、証の天幕、など神の臨在(神宝)と関係して用いられている言葉です。
更に一つにまとめるという部分は、包むに関係する言葉が使われていて。それには保管するとか保護すると言う意味があります。すなわち、神の宝を厳重に保管し弟子たちは立法を封じ(秘密裏に)厳重に保管せよという意味になるのです。
そして、イザヤの導きで神殿から契約の箱が運ばれたのかもしれない!?とされています。

そして、そのイザヤが契約の箱を持って、はるか東の土地でイザナギと呼ばれるようになった、あるいはイザヤの子どもたちがやって来たのかもしれないとする説があるのです。
だとすると、二人の息子はスサノオオノミコトとツクヨミ対応しますし、イザヤの子どもたちがイザナギ、イザナミと対応します。
だとしたら、契約の箱はこの日本にあるのかもしれません。
イザヤの述べた感動的な言葉をお読みお下さい。
イザヤ2章2、3
さあ,エホバの山に登ろう ヤコブの神の家に行こう。 神はご自分の道について教えてくださる。私たちはその道を歩もう。
律法がシオンから エホバの言葉がエルサレムから出る。
神は国々の中で裁きを下し 多くの人々を正しい方向に導く。
彼らは剣をすきに、やりを鎌に作り替える。
国は国に向かって剣を振り上げず 彼らはもはや戦いを学ばない。
この言葉は国連本部の壁にも記載されています。