今回は、聖書の中の一番最初の部分天地創造について考察してみたいと思います。
天地創造
まずはどんなことが書かれているか見ていきます。

創世記1章1節
初めに神は天と地を創造された
『初めに』という記述から始まっています。
初めにということは、始まる前はともかく『ない』『無』『絶対的虚無』ということでしょうか?そうではなく、神はいて、のちに出てくる神々と呼ばれるものも存在していたようです。
天地創造の章は、『天と地(地球と生き物たち)』が主役ですから、天と地ができる前は天と地がなかったということで、『無』とは違うと理解できます。
神が存在していましたし、神々と呼ばれるものもいたようです。
光よ輝け
読み進めると、神は光と闇、昼と夜を作ります。
天を作り、地面を作り、海を作り、植物を作り、太陽と月、星を作り、魚と鳥、獣と家畜、そして人を作李、休息した。と書かれています。
そして、その後その造った地の物質からすべてのものを作っています。
地上のすべてのものは地の物質からできている
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神は創造物と地上と同じ物質でできているとは考え難い
神
ここでは崇拝の対象としての神ではなく、天地を創造した、とてつもないエネルギーを持った、人と似たような何者か、と捉えています。エネルギーという目に見えない力が、物質を動かしたりすることを私たちは、誰でも知っていて、理解しやすいからです。
エロヒム
創世記に出てくる神は『エロヒム』でエロア(エル)の複数形です。我々という意味があるようです。
エロヒムはエロア(エル)の複数形

この複数形の解釈に関して、ある人は複数の神々を指すと言いますが、ある人は神の偉大さを表していると解釈します。
また、三位一体と言って、天と子と父を表すと解釈する人もいます。
しかし、創世記2章4節で初めて神の名前が出てきます。
神固有の名前יהוה(YHWH)が出てきて、創造がこの神によってなされたと書かれています。
聖書の中では神は一人だけと一貫して述べられています。
エロヒムの意味はなんだろう
その後すぐに神の固有名יהוהYHWHが出てくる
エロヒム(我々)という言葉を用いているということは上記を考慮すると、誰かそばに助け手がいたと考えるのが妥当かもしれません?もしくは、神に使える組織があったとか、神の手伝いをするグループがあったのかもしれません。
だとすると、そんなグループは一つとは限りません。

ちなみに、ギリシャ語聖書には
初めにロゴスがおり,ロゴスは神(God)と共におり,ロゴスは神性を備えて(divine)[神性の範ちゅうに属して]いたと述べられていて、このロゴスはイエスキリストのことを表しているという説があります。
神が人になる前の?イエスに話しかけていたのでしょうか?
あるいは、神の意思が、名付けられるつまり、ロゴスによって形(物質)にとなるということなのでしょうか?
または、物質だと思っているのは人類の方で、物質という概念さえもしかすると存在しないのかもしれません。
なんだか、プログラミングに似ていませんか?発想があって形にするために言語を使う・・・
全ては神が造ったゲームのキャラクターなのでしょうか
だとしたらなぜ自由意志があるのでしょうか?
天と地
天と地、ユダヤ系の初期のキリスト教会は天は目に見えない世界、地は目に見える世界と解釈しました。
天と地をつくったということは、天と地に分かれていなかったという意味です。天と地が混沌と混ざっている状態ということができます。しかし、混沌と混ざっている状態も私たちの想像では、ある一箇所が混ざっている状態は理解できますが、無いということや、無限ということが理解できません。
同じように、初めにという言葉から無存在の中に神のみ存在するということが想像すらできません。
神は最初から存在している
初めに神は、という言葉から神という存在が、なんらかの意思を持って最初のアクションを起こしたことがわかります。
そして、私たちの概念の中の世界、私たちが世界だと思っている世界が始まりました。
つまり、聖書の神は誰かが作った存在ではなく、最初から存在しています。少なくとも地球ができたときには存在しています。
最初から存在していた神が、自分の意思で人が住める場所を作っていきます。
なぜでしょうか?
私たちの、ごく普通の考え方からすれば、何かを行うときには目的が存在します。
例えば、帰ってきたら手を洗う。
スマホで何かを調べようと机の上に手を伸ばす。
暇だからテレビでも見るか!という場合でさえ、暇を潰すという目的があります。
ですから、神が創造を始めたのにも必ず目的があるはずです。
最初から存在した神の意思によって、全てが造られた
行動には目的があるはず
創造の目的はなんだろう?
一日は文字通りの一日なのか
聖書の記述を簡単にまとめると以下のようになっています。
初めに 天と地を作る 地は荒れていて闇があった | |
1日目の終わり 光と闇を分けて光の方を昼と呼んだ | |
2日目の終わり 水と水が分かれて空間を造り天と呼んだ 夜と朝ができた | |
3日目の終わり 水を一箇所に集め海と陸と呼んだ さまざまな果樹と草木を造った | |
4日目の終わり 太陽や月が地上から見えるようになって星が造られた | |
5日目の終わり 水の中の生き物、空を飛ぶ生き物が造られた | |
6日目の終わり 色々な大きさの陸の生き物が造られた 人間の男女が造られた | |
7日目 神は休まれた |
始まりから1日目の終わり
創世記1章1ー5
初めに,神は天と地を創造された。地は荒れていて何もなく、深い水の上に闇があった。神が送り出す力が水の上を動いていた。
神は言った。「光よ,輝け」。すると光が輝いた。 神が光を見ると,それは良かった。そして神は光と闇を分けた。 神は光を昼と呼び,闇を夜と呼んだ。こうして,晩になり朝になり,1日目が過ぎた。
この時はまだ、混沌とした星に、うっすら太陽の光が届くような状態です。
ここで述べられている光を表しているヘブライ語はオールということばで
一般的な光、散乱光を表します。
散乱光
二日目
創世記1章6−8
神は言った。「水の間に大空が生じよ。水と水とが分かれよ」。それから神は空間を造り,空間の下の水と上の水とに分けた。そのようになった。 神はその空間を天と呼んだ。こうして,晩になり朝になり,2日目が過ぎた。
大空はヘブライ語でラーキーアという言葉が使われていますが、ジェームズ王欽定約聖書という有名な聖書では、固い丸天井と訳していますが、欄外で広がりという語句をあげています。
三日目
創世記1章9−11
天の下の水は一つの場所に集められて乾いた陸地が現われるように』。するとそのようになった。そして神は乾いた陸地を“地”と呼ぶことにし,水の集まったところを“海”と呼ばれた
地は草を,種を結ぶ草木を,種が中にある果実をその種類にしたがって産する果実の木を,地の上に生え出させるように』。するとそのようになった
陸地ができて、植物の大まかな三つの区分ができました。
草、種を生み出す草木、果実です。
四日目
創世記1章14−16
天の大空に光体が生じて昼と夜とを区分するように。それらはしるしとなり,季節のため,また日と年のためのものとなる。そしてそれらは天の大空にあって光体となり,地の上を照らすことになる』。するとそのようになった。そして神は二つの大きな光体を,すなわち大きいほうの光体は昼を支配させるため,小さいほうの光体は夜を支配させるために造ってゆかれ,また星をも同じようにされた
ここでも出てきた光ですが、
こちらはヘブライ語でマーオールで光の源というような意味があります。
脚注では、先程のオールは 散乱した光で、マーオールは
光を与えるとなっています。
このことから、1日目はボワーっと光が届く程度だったものが4日目には変化したことがわかります。
五日目
創世記1章20−21
水は生きた魂の群れを群がり出させ,飛ぶ生き物が地の上を,天の大空の表を飛ぶように』。そうして神は大きな海の巨獣と動き回るあらゆる生きた魂,すなわち水がその種類にしたがって群がり出させるもの,また翼のあるあらゆる飛ぶ生き物をその種類にしたがって創造していかれた
ここで述べられている飛ぶ生き物はヘブライ語でアオーフ 羽の生えた昆虫,また翼竜のように空を飛ぶ爬虫類を指すことがあります
六日目
地は生きた魂をその種類にしたがい,家畜と動く生き物と地の野獣をその種類にしたがって出すように』。するとそのようになった
次いで神は言われた,『わたしたちの像に,わたしたちと似た様に人を造り,彼らに海の魚と天の飛ぶ生き物と家畜と全地と地の上を動くあらゆる動く生き物を服従させよう』。そうして神は人をご自分の像に創造してゆき,神の像にこれを創造された。男性と女性にこれを創造された
(1)始まり
(2)濃いガスと水に包まれた,闇の中の原始の地球
(3)光
(4)大空,すなわち大気
(5)広い範囲の乾いた陸地
(6)陸生植物
(7)太陽,月,星が大空を通して識別できるようになり,季節の推移が始まる
(8)海の巨獣と飛ぶ生き物
(9)野性の,また飼いならされる獣,陸の哺乳動物
(10)人間
当時の人が読んだ時にわかる必要があって、簡潔に述べられていて、事細かな詳細な創造手順を説明する必要がないものだとすれば、これで十分じゃないでしょうか。
例えば1日目の光の創造は、1日で完了したわけではないことは読めばわかります。
また、しだいにという表現がされていることなどから、これは文字通り24時間の1日ではないということが言えると思います。
創世記2章4節では神が天と地をつくった日と創造期間を1日としている部分もあるので24時間の1日ではありません。
地球に人が住めるようにした目的
この後2章を読み進めていくと、地上にはまだ雨が降るということがなく、植物もそんなに多くはなかったようです。
そこで地上をさらに整えるべく人の男女が作られます。

最後に人を自分に似せて造ったと書かれていて、神が地球を整えた理由は人を住ませるためだったのではないだろうか?
あるいは人を住ませてその先に目的があるのでしょうか?