
前回の投稿では、灌漑農業への変化が当時の社会にに大きな変化をもたらせたこととで、都市国家がその権力を誇示するために神話を利用したのかもしれないと考えました。
世界中で多くの人が読むことのできる書物といえば、『聖書』が第一に挙げられると思われますが、聖書の中にも興味深い記述を見ることができます。
神が天と地を作られた時、地上にはまだ野の木も、草も生えていなかった
神はまだ地上に雨を降らせておらず,地面を耕す人もいなかったからである
創世記2:5
エヌマ・エリシュと同様に、旧約聖書でも、天と地は二分されており、ノアの洪水に描写されたように天の水と地の水が貯蔵されていたことを述べています。
エヌマ・エリシュで、マルドゥクがティアマトの体を半分に引き裂供養な非化学的なことは聖書の神はしていませんが、二つに分たれていたと言う点や農耕を行うために、大地を肥沃にして人々を作って行ったと言う点が同じです。
創世記に出てくる『神』は第1章では『エロヒム』と呼ばれカナンの言葉では『神』を意味するエル(エロア)の複数形だと言われています。
複数形の意味として、唯一神を信奉する宗教では『力の強調』と捉えている様です。あるいは、三位一体説の証拠としても取り上げられることもある様です。

さらに、人類創造の点ではエヌマ・エリシュのマルドゥクはエアに命じ、エアが実際の作業を行っていますが、旧約聖書の神は神の言葉(ロゴス)の力と地のちりで、人を創り出します。
シュメールの神話で粘土をこねて人を作る神についても描かれているものがありこの点も興味深い点です。
そして、先に述べた神の言葉の力、つまりロゴスですが新約聖書のヨハネ1章の中で、ヨハネがイエスキリストについて言及した箇所で神の御子すなわち『ロゴス』と述べており神の御子が創造の時にそばにいたのだと捉えることもできるのです。
聖書全体のテーマとしては一番が創造主である神を崇拝することに重きが置かれていて、マルドゥクに関しては偶像崇拝と結びつけられており、聖書中のバベルの塔の話は、こマルドゥクが建立したジックラトのことであろうとされています。
聖書の中で、この建物を建てた人の名前は記載されていないと言う点も気になります。

エヌマ・エリシュはマルドゥクと言う神が当時のバビロニアの王の中に存在する(乗り移る)のだと人々に印象付けることで都市国家の力を揺るぎないものにしようとしたと考えたのでしょう。
聖書記述で、ノアのひ孫に当たるニムロデと言う人は『地上で最初に権力を持った人で、神に敵対する狩人』と表現されています。
このニムロデは当時のメソポタミア地方一帯に初めて国家を作り、国家と宗教を結びつけて行った様子が伺えます。このニムロデが塔をたてた人物で、自分をマルドゥクの生まれ変わりだとして人々の心を掴んでいったのかどうかは想像するしかありませんが、あながち間違ってはいない様な気がします。