アイヌ

アイヌはどこからきたのか

アイヌとはアイヌ語で『人』という意味だそうなので、そもそもアイヌ民族とかアイヌ人などという呼び方はふさわしくないと思われます。ですが、民族とかアイヌ人とよんでしまうその気持は良くわかります。

筆者の小学生の同級生に明らかに私とは違う顔、違う体型、違ったイントネーション、違った髪を持った友人がいました。西洋の人のようでもなく、日本人とも違う外見。その人は家族全員が明らかに違いました。

彫りが深く、奥まった目はくっきりと大きく二重まぶた、眉が太く、毛深く、ガッチリとした小柄でした。その一家が今どこで何をしているのか私は知るすべもありません。

最近のアイヌ文化のブームのようなこの状況をあの一家はどんな思いで見ているのでしょうか。

先住民族

北海道の先住民族と言われているアイヌですが、アイヌが日本にやってきたことがはっきりと分かるその時期は10世紀以降のことです。そして、アイヌ文化が成立したのは12,3世紀のことです。

しかし、近代国家(明治政府元号開始1868年)からの支配下となる前から住んでいて、独自の文化やアイデンティティーを持っていることから内閣府はアイヌ施策推進法によって、アイヌは日本の先住民族であると認定しました。

この投稿はそのことをどうこういう意図は全くありませんので、こんな説もあるのだなぁと言うエンターテイメントとしてお楽しみください。

そもそも、日本人はどこからたのか?人類史からの観点、現代のDNA解析でわかってきたことをまとめます。

ホモサピエンスが移動を始める

私達人類ホモサピエンスは30万年前アフリカで 猿人から進化したということは現代のDNAの解析によって間違いないであろうと言われています。

アフリカで25万年間も暮らしていたのに、突如として5万年ほど前から何故か爆発的な移動を始めます。

ホモ・エレクタスと呼ばれる、小柄でガッチリしていて、体毛がびっしり背中まであって体の色は黒く体毛も黒だったと考えられています。

この系統が化石で見つかっているのは当時の沿岸部20kmの範囲で最初の脱アフリカ組ではないかという説があります。

その中のアジア方向へ徐々に移動し、北京原人やジャワ原人が出現し、ヨーロッパではネアンデルタール人が出現し、やがて現代のホモ・サピエンスへとつながっているであろうと言われています。

シュメール文明以前のウバイド文化が 6500年前といわれていますから、それよりも更に大昔の話です。

遺跡とDNAから移動経路を探る

人は共通の先祖が、25万年間慣れ親しんだ土地を離れた約5万年前。

突如として世界中へと広がっていったことはわかっていますが、なぜまたどの様なルートで日本へたどり着いたのでしょうか。

離れた理由は研究が進むと見えてくるのかもしれませんが、どのようなルートで移動していった(広がっていった)のかはDNAの父方、母方双方の遺伝子解析と、遺跡の場所や時代測定によって知ることが出来ます。

実はこの5万年前の人類はアフリカから出たあと、一旦一箇所に集まりそこから徐々に広がっていきます。その場所はチグリス・ユーフラテス川のあたり現在のイラン、イラクのあたりです。

いわゆる、約束の地と言われる場所です。

突然の移動

遺跡の調査では急にアジアに遺跡が出現していることから、一度に爆発的に人が拡散したことは間違いないであろうと言われています。

25万年の間、アフリカで暮らしていたのに、よほどの大事件 何かがおきたに違いありませんがその理由は不明です。

この何かしらの理由の記憶が失楽園の話につながるのかもしれません。

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多くの科学者はその点を説明することが出来ませんが、何らかの意識の変化が起こったことには間違いないでしょう。

当時の人と呼ばれる生き物はホモサピエンスだけではありません。ホモサピエンスの遺跡に限って年代を測定すると48000年前に出現したことがわかっています。

さらに、中東を経由してヨーロッパ、南アジア、オーストラリア、ヨーロッパに向かったグループからはヒマラヤ方向へ向かいます。

そして、日本のあたりに向かう集団は、ヒマラヤを北回り経由で来たグループと、南回りで来たグループに別れます。これが45000年ほど前であろうと言われています。

4万年前にはシベリアで狩猟生活をしていてこの北グループがアメリカ大陸へとわたりアメリカの先住民と言われているホビ族だと言われています。

日本へ来たグループ

縄文時第以降、気温が安定期に入るのですが、氷河時代には違いありません。

過酷な環境下ではありましたが、海面は今より低下していて、北海道はサハリンとつながっており、国後や択捉まで一つの島でした(津軽海峡はありました)。

九州と四国まだつながっていて瀬戸内海はありません。

ですから、日本にホモサピエンスがアフリカからはるばる到着するには3つの地理的単位でやってきます。

それは古代の本州 琉球 北海道です。

ヒマラヤルートの北グループはアメリカ大陸へ向かったグループ(いわゆるネイティブアメリカン)とカムチャッカや樺太方向へ向かったグループもいました。

更に、ヒマラヤの南ルートには、朝鮮半島へ向かったグループが居ます。

最新の研究では、このヒマラヤ北ルートでの日本到着と南ルートでの日本到着の時代に大きな差はなさそうだと言うことになっています。

朝鮮から対馬ルート

38000年前には、 朝鮮経由で対馬に到着した人々が船舶の技術を持っていたことを示していて、突如としてたくさんの遺跡が出現しています。

さらに、35000年前には日本の最南端、与那国に台湾経由で来た人々が居たことがわかっています。

北海道

一方、25000年前にはシベリア北ルートの人々の一派が北側北海道へ入ってきます。カムチャッカ半島や樺太を通ってヒマラヤ北ルートの人類が入ってきました。

単純に考えると、その時に北海道に入ってきた人々、ホビ族と同じ遺伝子を持つ人々がアイヌという人々だったのかというと、最新の核DNA検査では違うという結果が出たそうです。

縄文人

縄文人というのは、日本の縄文時代に生きていた人々の総称です。顔の彫りが深く、いわゆる濃いめの顔です。そして、耳垢タイプは湿型。

アイヌ民族の祖先であったことは形態学的に明らかにされています。どこを由来して来たのかは先に述べたとおり諸説ありますが、北海道の縄文人の遺跡からはシベリア経由の可能性が深いようです。

オホーツク人

3世紀ころから北海道にはオホーツク人と呼ばれるサハリン経由で来たと思われる人々があらわれますが、顔つきは縄文人とは違いあっさり顔です。顔が大きくて平ら、耳垢タイプは乾型です。遺伝子的にはアムール川流域のウリチ族やニブフ族と呼ばれる人々に似ているそうです。

アイヌ

アイヌの文化は12,3世紀ころ成立したとされていますが、資料で確認できるのは15世紀頃のことです。

北海道の文化

続縄文文化

北海道では弥生時代から古墳時代への並行期のことを続縄文時代と呼んでいます。

発掘された人骨は、堀が深く鼻が高い縄文人特有なものに限らず、この時代にはすでに多様な特徴を持った人間が入り乱れて暮らしていたようです。

本土と呼ばれる本州では、縄文人は狩猟生活をして弥生人が農耕を始めたとされていますが、弥生人が入ってこなかった北海道には米づくりが伝わらず、縄文文化が7世紀ころまで発展していきます。

しかし、沖縄の海でしか採ることの出来ない貝の腕輪なども遺跡から見つかっており、航海のの優れた技術があったことがわかりますし、本州から金属を運んでいたようすもわかっています。

オホーツク文化からトビニタイ文化

オホーツク人たちが発展させたオホーツク文化は陸続きだった樺太あたりが中心地だったようですが、徐々に南下してきました。やがて陸続きが消滅するころには道東地域のオホーツク文化は擦文文化の影響を受け独自の文化様式を作り上げて言ったようです。

それをトビニタイ文化といいます。 北海道道東や国後島に存在していた文化で遺跡が北海道の羅臼町 飛仁帯で出土されています。

ここでアイヌとの関わりを感じさせる遺跡が発掘されます。

それは『熊崇拝』をしていたというところです。

神聖なヒグマ

アイヌが熊を神聖な生き物として見ていることは有名です。熊を崇拝していると言うと厳密には違って自然界の色々なものにカムイ(神)の存在を見出し経験な心を持って接するという世界観です。もっというなら、人の力ではどうしようもない物事にはすべてカムイが宿っています。

動物はカムイが人の世界に訪れる際の仮の姿で、善良なアイヌに捕まり祀られ神の国に還っていきます。ですから、カムイの化身の動物がアイヌの人柄を見極めて自ら捕らわれるという考え方が、アイヌの狩猟でした。

特にシマフクロウ、エゾオオカミ、シャチ、クマゲラ、エゾイタチ、エゾシカに関しても同様に儀式的なことが行われていたようですが、中でもヒグマ山の神で最も位の高い神とされていました。

北米先住民は、熊を人とは違う知恵のある存在、豊かさの象徴、として信仰対象としていました。

熊崇拝

先程オホーツク文化の項で出てきたニブフと言うところでは、2つの熊祭が行われていました。

一つは森で仕留めた熊 もう一つは飼育た熊のまつりです。

これがアイヌの伝統行事『イヨマンテ』にそっくりなのです。

イヨマンテについてはこちらをご覧ください。

これらのこと、DNAの研究と、遺跡、文化の発展などを考え合わせると、オホーツク人、擦文時代の人々 本土の弥生文化も入り この3つが融合されたことにはまちがいなさそうですが、中でも、アイヌはシベリア、アムール川近辺で分岐したグループに限りなく近いような気がします。

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